文字の獄
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文字の獄の実例
明
文字の獄が顕著だったのは明のはじめである。1368年に明朝が樹立されると、洪武帝は建国の功臣の粛清を始めた。卑賤の出であることについて劣等感を抱いていた洪武帝は、ことに文人たちに猜疑心を持った。そのため、多くの官僚が文書で「皇帝を謗っている」として処罰された。
- 「天に道あり」←「道」は「盗」と同音である。皇帝を「盗人」と謗っている。
- 「光天之下、天生聖人、為世作則(光天の下、天聖人を生み、世のために則を作らる)」←「光」とは「僧侶」を指し、洪武帝が僧侶だった経歴をそしっている。「生」は「僧」と同音。また、洪武帝の出身である紅巾軍は、「紅賊」「紅巾賊」と呼ばれており、「賊」と似た字である「則」も禁忌だった[1]。
また中国では春節に戸口に貼られる倒福の起源も洪武帝の時の文字の獄である。
清
清では康熙帝からはじまり、その子の雍正帝による文字の獄が有名である。反満反清的記述をした者には極刑が処せられるなど酸鼻を極めた。孫の乾隆帝の代にも見られた。