斎藤利綱 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 室町時代 - 戦国時代生誕 享徳3年(1454年)死没 不明別名 式部大輔[1]・伊豆守[1] 凡例斎藤利綱時代 室町時代 - 戦国時代生誕 享徳3年(1454年)死没 不明別名 式部大輔[1]・伊豆守[1]主君 土岐成頼、土岐政房氏族 美濃斎藤氏父母 父:斎藤利永、母:善性尼[2]兄弟 利安、妙純子 斎藤利常テンプレートを表示 斎藤 利綱(さいとう としつな)は室町時代から戦国時代の武将・歌人。 斎藤利永の子。兄弟に斎藤妙純[3]、斎藤利安[1]。通称は式部大輔・伊豆守[4]。 明応4年(1495年)に土岐氏の家督争いにより船田合戦が起こり、正法寺の戦いでは利安とともに古田氏討伐に向かう。翌明応5年(1496年)城田寺の戦いで墨俣に布陣している。明応7年(1498年)連歌師宗祇より古今伝授を受け、宗祇から『古今和歌集』を譲り受けた。明応8年(1499年)、宗祇を介して三条西実隆より3月20日に『古今和歌集』の写本に奥書染筆を貰う。また小笠原元長と親交深く、『弓馬故実』を伝授されている。永正年間に日吉神社(岐阜県安八郡神戸町)の三重塔を再建した[5]。 人物・逸話 連歌に優れ、作品が『新撰菟玖波集』に収められている。三条西実隆の日記『実隆公記』によれば『古今和歌集』『愚問賢注』の写本の奥書染筆を請うたり、十首歌を詠ずるなど文武両道の武将であった。故実にも通じ、『家中竹馬記』の作者であり、『土岐家聞書』の作者であるとも。 脚注 注釈 [脚注の使い方] 出典 1 2 3 4 黒川 1915, p. 24. ↑ 木下聡『美濃斎藤氏 論集 戦国大名と国衆⑯』(岩田書院、2014年) ↑ 東京 1882, pp. 78–79. ↑ 『美濃国諸旧記』[1] ↑ 日吉神社の三重塔立札[要文献特定詳細情報] 参考文献 朝日新聞社 編『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版、1994年10月22日、2464頁。ISBN 4023400521。 黒川真道 編『国立国会図書館デジタルコレクション 美濃国諸旧記・濃陽諸士伝記』国史研究会〈国史叢書〉、1915年7月26日。 NCID BN08617280。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948838/20 国立国会図書館デジタルコレクション。 宝賀寿男「【閑話休題】 春日局の系 ― 美濃斎藤氏」『古代氏族系譜集成』 中、古代氏族研究会、1986年4月。 NCID BN00924708。 参考資料 『所蔵史料目録データベース 美濃国諸家系譜』(謄写本)東京大学史料編纂所蔵、1882年。https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/200/2075/796/1/0391?m=all&n=20 所蔵史料目録データベース。 Related Articles