斎辰雄
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徳島県那賀郡今津村(現在の阿南市)出身[注釈 1]。旧制富岡中学校(現在の徳島県立富岡西高等学校)在学中に砲丸投、円盤投を始める。
三重高等農林学校(現在の三重大学)卒業後は名古屋で教員となり、1928年に日本陸上競技選手権大会の男子十種競技で優勝する。1928年のアムステルダムオリンピックでは12位に終わった(当時は名古屋育英商業学校[注釈 2]の教員 [1])。その後1932年までの間、日本選手権で十種競技五連覇を達成する(1928年から1930年までの所属は「名古屋教員」、1931年・1932年の所属は「常盤生命」)。常盤生命には当時、陸上競技選手としてほかに短距離走の加賀一郎、長距離走の津田晴一郎がいた[4]。
その後は陸上の指導者として活躍。1939年に開催された日満華交歓競技大会では、「満洲国」代表チームの監督を務める[5]:56。
徳島新聞の総務局長などを務めた[6]。1952年より中京大学での教育に携わり[6]、1963年には中京大学体育学部の学部長に就任した。1967年、癌のため死去した。