斑鳩大塚古墳

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所在地 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺南1丁目
位置 北緯34度36分23.03秒 東経135度43分57.75秒 / 北緯34.6063972度 東経135.7327083度 / 34.6063972; 135.7327083座標: 北緯34度36分23.03秒 東経135度43分57.75秒 / 北緯34.6063972度 東経135.7327083度 / 34.6063972; 135.7327083
形状 円墳
規模 直径43m
斑鳩大塚古墳

墳丘
所在地 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺南1丁目
位置 北緯34度36分23.03秒 東経135度43分57.75秒 / 北緯34.6063972度 東経135.7327083度 / 34.6063972; 135.7327083座標: 北緯34度36分23.03秒 東経135度43分57.75秒 / 北緯34.6063972度 東経135.7327083度 / 34.6063972; 135.7327083
形状 円墳
規模 直径43m
埋葬施設 粘土槨(内部に割竹形木棺
出土品 銅鏡・石釧・管玉・筒形銅器・武器・武具
築造時期 5世紀初頭
史跡 なし
地図
斑鳩大塚古墳の位置(奈良県内)
斑鳩大塚古墳
斑鳩大塚
古墳
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斑鳩大塚古墳(いかるがおおつかこふん)は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺南にある古墳。形状は円墳。史跡指定はされていない。

奈良盆地北西部、法隆寺の南約800メートルの水田地帯(標高約45メートル[1])に位置する大型円墳である。墳丘は開墾で改変されているほか、1954年昭和29年)に墳頂部における忠霊碑建設工事で副葬品が出土して調査され、2013-2017年平成25-29年)に測量調査・発掘調査が実施されている。

墳形は円形で、直径約43メートルを測る[2]。墳丘東側には長さ約3メートル・幅11.6メートルの張出部を付し、張出部を含めた墳丘長は約46メートルを測る[2]。墳丘の段築は不明[2]。墳丘外表では葺石のほか、円筒埴輪(鰭付円筒埴輪・朝顔形埴輪含む)・形象埴輪(家形・蓋形・盾形埴輪など)が認められる[2]。また墳丘周囲には幅約8.9メートル・深さ約0.8メートルの周溝が巡らされる[2]。埋葬施設は墳頂部における粘土槨で、昭和29年に調査されている。長さ約7.5メートル・幅1.5メートルを測り、内部には直径約0.6メートルの割竹形木棺を据えたとみられる[1]。粘土槨は東頭位とみられ、工事の際に銅鏡2・石釧・管玉・筒形銅器・武器・武具が出土している。なお、粘土槨は墳丘中心からやや南に偏っているため、別の埋葬施設の存在が推定される[1](中心部から大きくは外れないため、単独埋葬の可能性もある[2])。

築造時期は、古墳時代中期の5世紀初頭頃と推定される[1][2]。石釧・筒形銅器という前期古墳に特徴的な遺物と、三角板革綴短甲という中期古墳に特徴的な遺物が共伴することで特色を示す古墳であり、同時期に各地で出現する新興的勢力の武人としての被葬者像が想定される[2]

遺跡歴

  • 明治年間の『大和国古墳墓取調書』に記載。
  • 戦後、開墾で墳丘の改変。
  • 1954年昭和29年)、墳頂部における忠霊碑建設工事の際に墳丘削平・副葬品出土。緊急発掘調査(奈良県教育委員会、1958年に報告)。
  • 2013-2017年平成25-29年)、測量調査・発掘調査(奈良大学・斑鳩町教育委員会、2025年に総括報告)[2]
    • 2013年、測量調査・地中レーダー探査(2014年に報告)。
    • 2014年、第1次発掘調査(2015年に報告)。
    • 2015年、第2次発掘調査(2016年に報告)。
    • 2016年、第3次発掘調査(2017年に報告)。
    • 2017年、第4次発掘調査(2018年に報告)。

出土品

昭和29年に粘土槨から出土した副葬品は次の通り[1][2]

  • 銅鏡
    • 斜縁二神二獣鏡 1 - 3世紀前半頃の作で、長期保有鏡か。
    • 鋸歯文縁鏡 1
  • 石釧 1
  • 管玉 1
  • 筒形銅器 1
  • 武器
    • 鉄製刀剣 3以上 - 粘土槨西側(足側)小口に集積。
    • 鉄鏃 14以上
  • 武具
    • 三角板革綴短甲
    • 肩甲
    • 頸甲

以上のほか、墳丘周囲の発掘調査では、円筒埴輪(鰭付円筒埴輪・朝顔形埴輪含む)・形象埴輪(家形・蓋形・盾形埴輪など)が出土している。

関連施設

脚注

参考文献

関連文献

外部リンク

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