Wikiwand AI

新井田城

From Wikipedia, the free encyclopedia

別名 新田城
城郭構造 平城(居館)
築城年 、南北朝初期?
logo
logo
新井田城
(青森県)
別名 新田城
城郭構造 平城(居館)
築城主 新田(にいだ)氏
築城年 、南北朝初期?
主な城主 新田氏
廃城年 天正20年(1592年)
遺構 なし
指定文化財 史跡等未指定[1]
埋蔵文化財
包蔵地番号
県№203024(館平遺跡)[2]
位置 北緯40度29分27.0秒 東経141度31分13.0秒 / 北緯40.490833度 東経141.520278度 / 40.490833; 141.520278座標: 北緯40度29分27.0秒 東経141度31分13.0秒 / 北緯40.490833度 東経141.520278度 / 40.490833; 141.520278
地図
新井田城の位置(青森県内)
新井田城
新井田城
テンプレートを表示

新井田城(にいだじょう)は、青森県八戸市新井田にあった日本の城。別名・新田城(にいだじょう)。

新井田川と松館川の合流点付近の小高い丘陵[3]に所在した。後年、八戸藩主南部信興によって建てられた別館は本丸と二の丸に当たる外館(とだて)からなり、現、新井田小学校を含む一帯である。県の遺跡地図上では県遺跡№203024「館平遺跡」となっている[2]。また、一説には、当初、新田氏は新田城の北方約500メートルの古館(県遺跡№203147「新井田古館遺跡」[2])に入り、のちに当城に移ったといわれている。

沿革

中世から近世の平城。城主は新田(にいだ)氏であり、根城南部氏五代政長の次男彦次郎政持を祖とし、同じく政長の三男であった弟信助に中館(のちの八戸城)をそれぞれあたえ、これが新田氏・中館氏のおこりといわれている。根城、中館とともに、「三館一城」とも称されたともいう。築城時期は不明であるが、「浅利六郎四郎清連注進状」の建武3年(1336年)に新田彦次郎政持の名があり、南北朝初期に築城され当地に居住していたと思われる。

天正20年(1592年)の諸城破却書上には、「新井田 平城 破 南部 彦七郎 持分」とある。寛永4年(1627年)に南部利直の要請で、根城南部氏は遠野に国替えとなるが、一族の新田氏もこれに従って遠野に移転し廃城となった。

その後、八戸藩主南部信興が、新田城本丸に別館を営み居住したという。

脚注

参考資料

関連項目

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks