新原・奴山古墳群

福岡県福津市にある古墳群 From Wikipedia, the free encyclopedia

新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん、: Shimbaru-Nuyama Mounded Tomb Group、: Ensemble de tumuli de Shimbaru-Nuyama)は、福岡県福津市にある日本古墳群。現存する古墳は計41基(半壊も含む)であり、41基すべてが国の史跡津屋崎古墳群)に指定されている。

英名 Shimbaru-Nuyama Mounded Tomb Group
仏名 Ensemble de tumuli de Shimbaru-Nuyama
登録区分 文化遺産
概要 英名, 仏名 ...
世界遺産 新原・奴山古墳群 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
日本
英名 Shimbaru-Nuyama Mounded Tomb Group
仏名 Ensemble de tumuli de Shimbaru-Nuyama
登録区分 文化遺産
文化区分 遺跡
登録基準 (2), (3)
登録年 2017
公式サイト 世界遺産センター(英語)
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被葬者は、沖ノ島祭祀を担い、沖ノ島に宿る神に対する信仰を宗像三女神信仰へと発展させた古代豪族宗像氏とその関係者と推定されている[1]。古墳群は5〜6世紀にかけて、入海に面した沖ノ島へと続く海を一望できる台地上に築かれた。また、入海に突き出た7号墳は、かつては計59基の古墳があったが、江戸時代明治時代に行われた新田開発や、1982年昭和57年)7月10日に全線開通した県道北九州ー芦屋ー福間線(のちの国道495号)の建設などによって、計18基の古墳が消滅した。

2017年平成29年)7月2日から同月12日の間、ポーランドクラクフで開催された第41回世界遺産委員会では、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群が審議された。同月9日、イコモス勧告によって除外された4資産を含めた8つの資産が、正式に世界文化遺産に登録された[1][2]。なお、古墳世界遺産に登録されたのは国内最初の事例である。

概要

新原・奴山古墳群は、東西800メートルの丘陵地上に前方後円墳5基、方墳1基、円墳35基が現存し、便宜的に通し番号が付されている。この他、過去の記録や発掘調査地形測量により、周囲の田圃開削により失われた古墳が18基あったことが確認されており、それらにも通し番号が付されている。古墳造営当時は丘陵地の西側に接して入海(現在の津屋崎湾が深く入り込む入り江)があったが徐々に後退し、江戸時代干拓され塩田となり、明治時代以降水田となった。古墳群の周辺にはため池(月花池・原田池・招池・伏原池)が点在するが、これは近世以降に作られた灌漑用であり、古墳とは無関係である。丘陵地は国道495号によって分断されている。古墳石室に使用された玄武岩は玄界灘の相島から船によって運ばれたと推定されている。

世界遺産推薦への動向

一覧

新原・奴山古墳群に属する古墳

新原・奴山古墳群には、前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が現存し、このうち前方後円墳2基が半壊している。これとは別に、これまでに円墳18基が消滅した。新原・奴山古墳群に属する古墳では、現存する41基と、これまでに消滅した18基を合わせた、計59基で構成される。

さらに見る 外観写真, 古墳名 ...
新原・奴山古墳群に属する古墳 ※この一覧表は「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群公式ホームページ全国古墳データベース奈良文化総覧 WebGISの情報をもとにできる限り作成した。古墳名、形状について、1~43(2、3、4、5、6号墳を除く)号墳はすべて「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群公式ホームページを引用する。墳長ついて、1、7、12、21、22、24、30号墳は「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群公式ホームページを引用し、1~43(1、7、12、21、22、24、30号墳を除く)号墳は不明である。ただし一部の現存古墳の円墳高、方墳高は、国土地理院の標高データをもとに作成した(以下、(非公式)で表す)。後円部径径、後円部高、前方部幅、前方部長、前方部高について、古墳の形状が前方後円墳、または帆立貝形古墳(1、12、22、24、30号墳)のみ記載し、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群公式ホームページを引用する。葺石、主体部(室・槨を指す)について、1、22号墳(22号墳は葺石のみ)は全国古墳データベースを引用する。なお一部の古墳について、外観写真や形状、墳長、葺石の有無、主体部、築造時期の情報が不足している。
外観写真 古墳名 形状 墳長 後円部径(円墳・方墳は墳長と同義) 前方部幅(円墳・方墳は墳長と同義) 前方部長(円墳・方墳は墳長と同義) 後円部高/円墳高(方墳は方墳高と同義) 前方部高/方墳高(円墳は円墳高と同義) 葺石 主体部 築造時期 保存状態
準備中 1号墳 前方後円墳[1] 50 m[1] 29 m[3] 31 m[3] 24 m[3] 5 m[3] 4 m[3] あり[3] 横穴式石室[3] 5世紀中頃[1] 半壊
準備中 2号墳 円墳? 確認中 確認中 確認中 確認中 確認中 消滅
準備中 3号墳 円墳? 確認中 確認中 確認中 確認中 確認中 消滅
準備中 4号墳 円墳? 確認中 確認中 確認中 確認中 確認中 消滅
準備中 5号墳 円墳? 確認中 確認中 確認中 確認中 確認中 消滅
準備中 6号墳 円墳? 確認中 確認中 確認中 確認中 確認中 消滅
準備中 7号墳 方墳[1] 一辺20~24 m[1] 1.8 m(非公式) 確認中 確認中 5世紀前半[1] 現存
準備中 8号墳 円墳[1] 10 m(非公式) 0.9 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
準備中 9号墳 円墳?[1] 確認中 確認中 確認中 確認中 6世紀後半[1] 確認中
準備中 10号墳 円墳?[1] 確認中 確認中 確認中 確認中 6世紀後半[1] 確認中
準備中 11号墳 円墳[1] 15 m(非公式) 2.4 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
12号墳(じゅうにごうふん)
12号墳 前方後円墳[1] 43 m[1] 36 m[3] 48 m[3] 25 m[3] 6 m[3] 5.5 m[3] 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
準備中 13号墳 円墳[1] 12 m(非公式) 1.3 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
準備中 14号墳 円墳[1] 16 m(非公式) 2.8 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
15号墳(じゅうごごうふん)
15号墳 円墳[1] 19 m(非公式) 4.2 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
16号墳(じゅうろくごうふん)
16号墳 円墳[1] 8 m(非公式) 1.3 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
17号墳(じゅうななごうふん)
17号墳 円墳[1] 10 m(非公式) 1.9 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
18号墳(じゅうはちごうふん)
18号墳 円墳[1] 8 m(非公式) 1.4 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
19号墳(じゅうきゅうごうふん)
19号墳 円墳[1] 9 m(非公式) 1.4 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
20号墳(にじゅうごうふん)
20号墳 円墳[1] 32 m(非公式) 4.9 m(非公式) 確認中 確認中 5世紀[1] 現存
21号墳(にじゅういちごうふん)
21号墳 円墳[1] 17 m[1] 1.3 m(非公式) 確認中 確認中 5世紀前半[1] 現存
22号墳(にじゅうにごうふん)
22号墳 前方後円墳帆立貝形古墳[1] 80 m[1] 確認中 確認中 確認中 7.5 m(非公式) 確認中 あり?[3] あり?[3] 5世紀[1] 半壊
準備中 23号墳 円墳[1] 18 m(非公式) 2.2 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
24号墳(にじゅうよんごうふん)
24号墳 前方後円墳[1] 53.5 m[1] 31 m[3] 18.5 m[3] 24 m[3] 7 m[3] 5 m[3] 確認中 確認中 6世紀前半[1] 現存
25号墳(にじゅうごごうふん)
25号墳 円墳[1] 30 m(非公式) 6.4 m(非公式) 確認中 確認中 5世紀[1] 現存
準備中 26号墳 円墳[1] 10 m(非公式) 2.0 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
準備中 27号墳 円墳[1] 8 m(非公式) 2.0 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
準備中 28号墳 円墳[1] 13 m(非公式) 2.3m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
29号墳(にじゅうきゅうごうふん)
29号墳 円墳[1] 8 m(非公式) 0.7 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
30号墳(さんじゅうごうふん)
30号墳 前方後円墳[1] 63.5 m[1] 28 m[3] 34 m[3] 30 m[3] 8 m[3] 3 m[3] 確認中 確認中 6世紀中頃[1] 現存
31号墳(さんじゅういちごうふん)
31号墳 円墳[1] 12m(非公式) 2.1 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
32号墳(さんじゅうにごうふん)
32号墳 円墳[1] 10 m(非公式) 2.1 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
33号墳(さんじゅうさんごうふん)
33号墳 円墳[1] 8 m(非公式) 1.3 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
34号墳(さんじゅうよんごうふん)
34号墳 円墳[1] 21 m(非公式) 4.9 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
35号墳(さんじゅうごごうふん)
35号墳 円墳[1] 10 m(非公式) 2.2 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
36号墳(さんじゅうろくごうふん)
36号墳 円墳[1] 13 m(非公式) 4.0 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
37号墳(さんじゅうななごうふん)
37号墳 円墳[1] 12 m(非公式) 2.2 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
38号墳(さんじゅうはちごうふん)
38号墳 円墳[1] 10 m(非公式) 1.2 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
39号墳(さんじゅうきゅうごうふん)
39号墳 円墳?[1] 確認中 確認中 確認中 確認中 6世紀後半[1] 確認中
40号墳(よんじゅうごうふん)
40号墳 円墳[1] 17 m(非公式) 4.9 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
41号墳(よんじゅういちごうふん)
41号墳 円墳[1] 10 m(非公式) 1.6 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
42号墳(よんじゅうにごうふん)
42号墳 円墳[1] 8 m(非公式) 1.9 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
43号墳(よんじゅうさんごうふん)
43号墳 円墳[1] 7 m(非公式) 0.4 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
準備中 44号墳 円墳? 確認中 確認中 確認中 確認中 確認中 消滅
準備中 45号墳 円墳? 確認中 確認中 確認中 確認中 確認中 消滅
46号墳(よんじゅうろくごうふん)
46号墳 円墳[1] 8 m(非公式) 0.9 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
47号墳(よんじゅうななごうふん)
47号墳 円墳[1] 8 m(非公式) 0.8 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
準備中 48号墳 円墳[1] 7 m(非公式) 0.9 m(非公式) 確認中 確認中 6世紀後半[1] 現存
準備中 49号墳 円墳? 確認中 確認中 確認中 確認中 確認中 消滅
準備中 50号墳 円墳? 確認中 確認中 確認中 確認中 確認中 消滅
準備中 51号墳 円墳? 確認中 確認中 確認中 確認中 確認中 消滅
準備中 52号墳 円墳? 確認中 確認中 確認中 確認中 確認中 消滅
準備中 53号墳 円墳? 確認中 確認中 確認中 確認中 確認中 消滅
準備中 54号墳 円墳? 確認中 確認中 確認中 確認中 確認中 消滅
準備中 55号墳 円墳? 確認中 確認中 確認中 確認中 確認中 消滅
準備中 56号墳 円墳? 確認中 確認中 確認中 確認中 確認中 消滅
準備中 57号墳 円墳? 確認中 確認中 確認中 確認中 確認中 消滅
準備中 58号墳 円墳? 確認中 確認中 確認中 確認中 確認中 消滅
準備中 59号墳 円墳? 確認中 確認中 確認中 確認中 確認中 消滅
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1号墳

新原・奴山古墳群1号墳は、新原・奴山古墳群の5基ある前方後円墳のうちのひとつである。5世紀中頃の古墳時代中期に宗像氏によって築かれた[1]。当時の墳長は50m、後円部径径は29m、後円部高は5m、前方部幅は31m、前方部長は24m、前方部高4mであり[3]、これは新原・奴山古墳群において4番目の大きさである。なお現在は古墳の前方部が消滅している。これは、1982年昭和57年)7月10日に全線開通した県道北九州ー芦屋ー福間線(のちの国道495号)の道路建設に伴う開削によるものである。出土品はすべて、道路建設時の発掘調査によって回収・保護され、現在は福津市文化会館「カメリアホール」で保存されている。

2~6号墳

道路と民有地施設の削平により消滅。

7号墳

墳長一辺24 m、宗像地方で唯一の方墳。5世紀の造営。[1]沖ノ島祭祀遺構と共通するが出土しており、祭祀場としても使われた可能性がある。

8~11号墳

6世紀後半の小円墳。[1]

12号墳

墳長43 mの前方後円墳。6世紀前半の造営。[1]

13~19号墳

6世紀後半の小円墳。[1]

20号墳

中規模円墳、葺石が葺かれている。5世紀の造営。[1]

21号墳

墳長17 mの円墳。5世紀前半の造営。[1]墳丘上に鎌倉時代の新原百塔板碑(県指定文化財)がある。

22号墳後円部

22号墳

墳長80 mの前方後円墳だが、方墳部分は消滅。5世紀前半の造営。[1]新原・奴山古墳群の中で最大規模で、最古の部類に属す。周溝と周堤も巡らされていた。墳丘上には後世に祀られた縫殿宮の石祠がある。

22号墳入り口

23号墳

6世紀の小円墳。[1]

24号墳

墳長53 mの前方後円墳[1]6世紀前半の造営で、22号墳と並ぶ最古の部類である。

24号墳の周溝1
24号墳の周溝2

25号墳

中規模円墳、葺石が葺かれている。5世紀の造営。[1]

26~29号墳

小円墳、丘陵地の斜面に造営されている。6世紀後半の造営。[1]

26〜29号墳

30号墳

墳長54 mの前方後円墳。6世紀前半の造営。[1]

30号墳前方部
30号墳後円部

31~43号墳

6世紀後半の小円墳。[1]

44・45号墳

削平され消滅。

46~48号墳

6世紀後半の小円墳。[1]

49~59号墳

田圃開削で削平され消滅。

世界遺産への道のり

2017年7月に開催されたポーランド第41回世界遺産委員会にて登録された。

推薦に至る過程で、桜京古墳・東郷高塚古墳そして新原・奴山古墳群を包括する津屋崎古墳群の勝浦峯ノ畑古墳や宮地嶽古墳などが選考から漏れていった。新原・奴山古墳群が残った理由は、宗像大社宗像三女神信仰の根幹となる海神海洋崇拝を表現する玄界灘)に面した「海と一体的な景観」(文化的景観)が保持されている立地条件が推薦書に明記されたことによる。こうした経緯からやや内陸に位置する桜京古墳・東郷高塚古墳が除外され、宮地嶽古墳は宮地嶽神社の奥宮として宗像信仰とは異なる対象となっているため候補から外された。

新原・奴山古墳群では景観法の眺望景観重点区域を適用して、大島を望む古墳周辺の農地田園風景を保全し、屋外広告物法条例により不調和な建物看板などを随時撤去してゆく[4]

世界遺産登録後の動向

平成30年7月豪雨では、新原・奴山古墳群の一部の古墳が土砂崩れの被害を受けていたことを、同月11日に福岡県教育委員会が発表した[5][6]。被害が確認されたものは13号墳と30号墳であり、13号墳は円墳の北西側が少し崩れ、30号墳は、前方後円墳の後円部の北側が高さ5m、幅15mに渡って大きく崩れていた。なお、30号墳の崩壊部分は平成15年梅雨前線豪雨時の被害を受け、土嚢で補修したものであった。現在は文化財保護のためブルーシートを被せており、修復作業中である。

30号墳ブルーシート

アクセス

出典

関連項目

外部リンク

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