新原・奴山古墳群
福岡県福津市にある古墳群
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新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん、英: Shimbaru-Nuyama Mounded Tomb Group、仏: Ensemble de tumuli de Shimbaru-Nuyama)は、福岡県福津市にある日本の古墳群。現存する古墳は計41基(半壊も含む)であり、41基すべてが国の史跡(津屋崎古墳群)に指定されている。
被葬者は、沖ノ島祭祀を担い、沖ノ島に宿る神に対する信仰を宗像三女神信仰へと発展させた古代豪族、宗像氏とその関係者と推定されている[1]。古墳群は5〜6世紀にかけて、入海に面した沖ノ島へと続く海を一望できる台地上に築かれた。また、入海に突き出た7号墳は、かつては計59基の古墳があったが、江戸時代や明治時代に行われた新田開発や、1982年(昭和57年)7月10日に全線開通した県道北九州ー芦屋ー福間線(のちの国道495号)の建設などによって、計18基の古墳が消滅した。
2017年(平成29年)7月2日から同月12日の間、ポーランド、クラクフで開催された第41回世界遺産委員会では、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群が審議された。同月9日、イコモス勧告によって除外された4資産を含めた8つの資産が、正式に世界文化遺産に登録された[1][2]。なお、古墳が世界遺産に登録されたのは国内最初の事例である。
概要
新原・奴山古墳群は、東西800メートルの丘陵地上に前方後円墳5基、方墳1基、円墳35基が現存し、便宜的に通し番号が付されている。この他、過去の記録や発掘調査・地形測量により、周囲の田圃開削により失われた古墳が18基あったことが確認されており、それらにも通し番号が付されている。古墳造営当時は丘陵地の西側に接して入海(現在の津屋崎湾が深く入り込む入り江)があったが徐々に後退し、江戸時代に干拓され塩田となり、明治時代以降水田となった。古墳群の周辺にはため池(月花池・原田池・招池・伏原池)が点在するが、これは近世以降に作られた灌漑用であり、古墳とは無関係である。丘陵地は国道495号によって分断されている。古墳石室に使用された玄武岩は玄界灘の相島から船によって運ばれたと推定されている。
世界遺産推薦への動向
一覧
新原・奴山古墳群に属する古墳
新原・奴山古墳群には、前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が現存し、このうち前方後円墳2基が半壊している。これとは別に、これまでに円墳18基が消滅した。新原・奴山古墳群に属する古墳では、現存する41基と、これまでに消滅した18基を合わせた、計59基で構成される。
| 外観写真 | 古墳名 | 形状 | 墳長 | 後円部径(円墳・方墳は墳長と同義) | 前方部幅(円墳・方墳は墳長と同義) | 前方部長(円墳・方墳は墳長と同義) | 後円部高/円墳高(方墳は方墳高と同義) | 前方部高/方墳高(円墳は円墳高と同義) | 葺石 | 主体部 | 築造時期 | 保存状態 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 準備中 | 1号墳 | 前方後円墳[1] | 50 m[1] | 29 m[3] | 31 m[3] | 24 m[3] | 5 m[3] | 4 m[3] | あり[3] | 横穴式石室[3] | 5世紀中頃[1] | 半壊 |
| 準備中 | 2号墳 | 円墳? | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 消滅 | ||||
| 準備中 | 3号墳 | 円墳? | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 消滅 | ||||
| 準備中 | 4号墳 | 円墳? | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 消滅 | ||||
| 準備中 | 5号墳 | 円墳? | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 消滅 | ||||
| 準備中 | 6号墳 | 円墳? | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 消滅 | ||||
| 準備中 | 7号墳 | 方墳[1] | 一辺20~24 m[1] | 1.8 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 5世紀前半[1] | 現存 | ||||
| 準備中 | 8号墳 | 円墳[1] | 10 m(非公式) | 0.9 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | ||||
| 準備中 | 9号墳 | 円墳?[1] | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 確認中 | ||||
| 準備中 | 10号墳 | 円墳?[1] | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 確認中 | ||||
| 準備中 | 11号墳 | 円墳[1] | 15 m(非公式) | 2.4 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | ||||
| 12号墳 | 前方後円墳[1] | 43 m[1] | 36 m[3] | 48 m[3] | 25 m[3] | 6 m[3] | 5.5 m[3] | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |
| 準備中 | 13号墳 | 円墳[1] | 12 m(非公式) | 1.3 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | ||||
| 準備中 | 14号墳 | 円墳[1] | 16 m(非公式) | 2.8 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | ||||
| 15号墳 | 円墳[1] | 19 m(非公式) | 4.2 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 16号墳 | 円墳[1] | 8 m(非公式) | 1.3 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 17号墳 | 円墳[1] | 10 m(非公式) | 1.9 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 18号墳 | 円墳[1] | 8 m(非公式) | 1.4 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 19号墳 | 円墳[1] | 9 m(非公式) | 1.4 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 20号墳 | 円墳[1] | 32 m(非公式) | 4.9 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 5世紀[1] | 現存 | |||||
| 21号墳 | 円墳[1] | 17 m[1] | 1.3 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 5世紀前半[1] | 現存 | |||||
| 22号墳 | 前方後円墳(帆立貝形古墳)[1] | 80 m[1] | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 7.5 m(非公式) | 確認中 | あり?[3] | あり?[3] | 5世紀[1] | 半壊 | |
| 準備中 | 23号墳 | 円墳[1] | 18 m(非公式) | 2.2 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | ||||
| 24号墳 | 前方後円墳[1] | 53.5 m[1] | 31 m[3] | 18.5 m[3] | 24 m[3] | 7 m[3] | 5 m[3] | 確認中 | 確認中 | 6世紀前半[1] | 現存 | |
| 25号墳 | 円墳[1] | 30 m(非公式) | 6.4 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 5世紀[1] | 現存 | |||||
| 準備中 | 26号墳 | 円墳[1] | 10 m(非公式) | 2.0 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | ||||
| 準備中 | 27号墳 | 円墳[1] | 8 m(非公式) | 2.0 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | ||||
| 準備中 | 28号墳 | 円墳[1] | 13 m(非公式) | 2.3m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | ||||
| 29号墳 | 円墳[1] | 8 m(非公式) | 0.7 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 30号墳 | 前方後円墳[1] | 63.5 m[1] | 28 m[3] | 34 m[3] | 30 m[3] | 8 m[3] | 3 m[3] | 確認中 | 確認中 | 6世紀中頃[1] | 現存 | |
| 31号墳 | 円墳[1] | 12m(非公式) | 2.1 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 32号墳 | 円墳[1] | 10 m(非公式) | 2.1 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 33号墳 | 円墳[1] | 8 m(非公式) | 1.3 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 34号墳 | 円墳[1] | 21 m(非公式) | 4.9 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 35号墳 | 円墳[1] | 10 m(非公式) | 2.2 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 36号墳 | 円墳[1] | 13 m(非公式) | 4.0 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 37号墳 | 円墳[1] | 12 m(非公式) | 2.2 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 38号墳 | 円墳[1] | 10 m(非公式) | 1.2 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 39号墳 | 円墳?[1] | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 確認中 | |||||
| 40号墳 | 円墳[1] | 17 m(非公式) | 4.9 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 41号墳 | 円墳[1] | 10 m(非公式) | 1.6 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 42号墳 | 円墳[1] | 8 m(非公式) | 1.9 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 43号墳 | 円墳[1] | 7 m(非公式) | 0.4 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 準備中 | 44号墳 | 円墳? | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 消滅 | ||||
| 準備中 | 45号墳 | 円墳? | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 消滅 | ||||
| 46号墳 | 円墳[1] | 8 m(非公式) | 0.9 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 47号墳 | 円墳[1] | 8 m(非公式) | 0.8 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | |||||
| 準備中 | 48号墳 | 円墳[1] | 7 m(非公式) | 0.9 m(非公式) | 確認中 | 確認中 | 6世紀後半[1] | 現存 | ||||
| 準備中 | 49号墳 | 円墳? | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 消滅 | ||||
| 準備中 | 50号墳 | 円墳? | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 消滅 | ||||
| 準備中 | 51号墳 | 円墳? | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 消滅 | ||||
| 準備中 | 52号墳 | 円墳? | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 消滅 | ||||
| 準備中 | 53号墳 | 円墳? | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 消滅 | ||||
| 準備中 | 54号墳 | 円墳? | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 消滅 | ||||
| 準備中 | 55号墳 | 円墳? | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 消滅 | ||||
| 準備中 | 56号墳 | 円墳? | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 消滅 | ||||
| 準備中 | 57号墳 | 円墳? | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 消滅 | ||||
| 準備中 | 58号墳 | 円墳? | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 消滅 | ||||
| 準備中 | 59号墳 | 円墳? | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 確認中 | 消滅 | ||||
1号墳
新原・奴山古墳群1号墳は、新原・奴山古墳群の5基ある前方後円墳のうちのひとつである。5世紀中頃の古墳時代中期に宗像氏によって築かれた[1]。当時の墳長は50m、後円部径径は29m、後円部高は5m、前方部幅は31m、前方部長は24m、前方部高4mであり[3]、これは新原・奴山古墳群において4番目の大きさである。なお現在は古墳の前方部が消滅している。これは、1982年(昭和57年)7月10日に全線開通した県道北九州ー芦屋ー福間線(のちの国道495号)の道路建設に伴う開削によるものである。出土品はすべて、道路建設時の発掘調査によって回収・保護され、現在は福津市文化会館「カメリアホール」で保存されている。
2~6号墳
道路と民有地施設の削平により消滅。
7号墳
墳長一辺24 m、宗像地方で唯一の方墳。5世紀の造営。[1]沖ノ島の祭祀遺構と共通する鉄斧が出土しており、祭祀場としても使われた可能性がある。
8~11号墳
6世紀後半の小円墳。[1]
12号墳
13~19号墳
6世紀後半の小円墳。[1]
20号墳
中規模円墳、葺石が葺かれている。5世紀の造営。[1]
21号墳
墳長17 mの円墳。5世紀前半の造営。[1]墳丘上に鎌倉時代の新原百塔板碑(県指定文化財)がある。

22号墳
墳長80 mの前方後円墳だが、方墳部分は消滅。5世紀前半の造営。[1]新原・奴山古墳群の中で最大規模で、最古の部類に属す。周溝と周堤も巡らされていた。墳丘上には後世に祀られた縫殿宮の石祠がある。

23号墳
6世紀の小円墳。[1]
24号墳
墳長53 mの前方後円墳。[1]6世紀前半の造営で、22号墳と並ぶ最古の部類である。


25号墳
中規模円墳、葺石が葺かれている。5世紀の造営。[1]
26~29号墳
小円墳、丘陵地の斜面に造営されている。6世紀後半の造営。[1]

30号墳


31~43号墳
6世紀後半の小円墳。[1]
44・45号墳
削平され消滅。
46~48号墳
6世紀後半の小円墳。[1]
49~59号墳
田圃開削で削平され消滅。
世界遺産への道のり

推薦に至る過程で、桜京古墳・東郷高塚古墳そして新原・奴山古墳群を包括する津屋崎古墳群の勝浦峯ノ畑古墳や宮地嶽古墳などが選考から漏れていった。新原・奴山古墳群が残った理由は、宗像大社(宗像三女神)信仰の根幹となる海神(海洋)崇拝を表現する海(玄界灘)に面した「海と一体的な景観」(文化的景観)が保持されている立地条件が推薦書に明記されたことによる。こうした経緯からやや内陸に位置する桜京古墳・東郷高塚古墳が除外され、宮地嶽古墳は宮地嶽神社の奥宮として宗像信仰とは異なる対象となっているため候補から外された。
新原・奴山古墳群では景観法の眺望景観重点区域を適用して、大島を望む古墳周辺の農地田園風景を保全し、屋外広告物法や条例により不調和な建物や看板などを随時撤去してゆく[4]。
世界遺産登録後の動向
アクセス
- JR鹿児島本線福間駅からふくつミニバス勝浦線に乗車し「昭和学園前(新原奴山古墳群前)」下車すぐ。但し、駅からは右回り・左回りそれぞれ2本ずつと本数が少ない。その他、旧津屋崎中心部の「カメリアステージ」を起終点とする便が1日1便程度ある。
- マイカーの場合、九州自動車道古賀インターチェンジからおよそ13㎞。





























