新天地通
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開通

かつてこの場所には広大な萬松寺の境内が広がっていた。大正時代初期、37世の伊藤覚典和尚は寺院の周囲に商店を誘致することを決めた[2]。本堂を数十メートルほど西に曳家し、新天地通を築いたうえで境内の大部分を第三者に賃借した[2]。
映画館街としての繁栄

1915年(大正4年)には芝居小屋の帝国座が大須観音近くから萬松寺本堂跡地に移転した[2]。そのすぐ後には帝国座の向かいに寄席の遊楽館ができ、1916年(大正5年)4月初頭には新天地通初の活動常設館に転向した[2]。
1918年(大正7年)夏に全国各地で米騒動が起こると、11月15日には旧本堂跡地の一部を利用してバラックの中公設市場が設置された[2]。1924年(大正13年)1月21日には新天地通の北端部に本建築の中公設市場が建てられ、高瀬兼次郎が旧公設市場跡地を借り受けた[2]。1927年(昭和2年)5月31日には映画館の常盤館(常盤劇場)が開館し、1934年(昭和9年)6月1日には名古屋劇場が開館した[2]。1935年(昭和10年)頃の新天地通には、通りの東側に南から帝国劇場、名古屋劇場、常盤館が並んでおり、通りの西側に帝国館があった[2]。
戦後の歴史

日本の映画館数がピークを迎えた1960年(昭和35年)頃、新天地通の東側には南から万松寺日活、名古屋劇場、平和劇場(後の大須大映)、日活シネマの4館が並んでいた[3]。1972年(昭和47年)6月18日には名古屋劇場が火災で焼失するなど[4]、1972年(昭和47年)から1976年(昭和51年)頃には相次いで閉館し、新天地通から映画館がなくなった。
名古屋劇場の経営者だった高瀬泰昌は、1977年(昭和52年)6月18日にラジオセンター・アメ横共同ビル(後に第1アメ横ビルに改称)を開業させ、パソコン部品の店舗などを集めたビルが人気を博した。1970年代の大須は閑散としたシャッター商店街となっていたとされるが、第1アメ横ビルや1978年(昭和53年)10月に初開催された大須大道町人祭は大須の復活の立役者とされている。
1996年(平成8年)から全蓋式アーケードの建て替えに着手し、1998年(平成10年)11月13日に完成披露パーティが開催された[1]。
2009年(平成21年)の大須大道町人祭の前夜祭では金玉転がしが行われ、万松寺通、大須観音通、新天地通、赤門通は北チーム、東仁王門通、仁王門通、門前町通、大須本通は南チームとなった[5]。
