新潟鉄道信用組合

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本社所在地 日本の旗 日本
950-0901
新潟県新潟市中央区弁天三丁目1番3号
北緯37度54分44.1秒 東経139度3分31.8秒 / 北緯37.912250度 東経139.058833度 / 37.912250; 139.058833座標: 北緯37度54分44.1秒 東経139度3分31.8秒 / 北緯37.912250度 東経139.058833度 / 37.912250; 139.058833
設立 1966年5月6日
(新潟地方国鉄信用組合の本認可日)
廃止 2023年11月20日(合併に伴う解散)
新潟鉄道信用組合
種類 信用協同組合
本社所在地 日本の旗 日本
950-0901
新潟県新潟市中央区弁天三丁目1番3号
北緯37度54分44.1秒 東経139度3分31.8秒 / 北緯37.912250度 東経139.058833度 / 37.912250; 139.058833座標: 北緯37度54分44.1秒 東経139度3分31.8秒 / 北緯37.912250度 東経139.058833度 / 37.912250; 139.058833
設立 1966年5月6日
(新潟地方国鉄信用組合の本認可日)
廃止 2023年11月20日(合併に伴う解散)
業種 銀行業
法人番号 4110005000963 ウィキデータを編集
金融機関コード 2354
事業内容 預金の受入れ、資金の貸出し 他
代表者 小林義孝(理事長)[1]
資本金 1億8054万3000円
(出資金、2022年3月31日現在)[1]
売上高 1億6113万6000円
(経常収益、2022年3月期)[1]
経常利益 1273万6000円
(2022年3月期)[1]
純利益 969万2000円
(2022年3月期)[1]
純資産 4億5039万0000円
(2022年3月31日現在)[1]
総資産 80億7410万1000円
(2022年3月31日現在)[1]
従業員数 5人(2022年3月31日現在)[1]
支店舗 1店(本店)
決算期 3月31日
外部リンク https://www.nts-40.co.jp/
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新潟鉄道信用組合のデータ
法人番号 4110005000963 ウィキデータを編集
貸出金残高 22億1851万6000円
預金残高 68億5666万4000円
特記事項:
2022年3月31日現在[1]
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新潟鉄道信用組合(にいがたてつどうしんようくみあい)は、かつて新潟県新潟市中央区に本店を置いていた信用協同組合

営業区域

1965年(昭和40年)に設立(翌年認可)された、国鉄新潟地方労働組合(のちの鉄道労働組合新潟地域本部)組合員向けの職域組合、新潟地方国鉄信用組合(にいがたちほうこくてつしんようくみあい)を前身とし、末期は東日本旅客鉄道(JR東日本)新潟支社及び日本貨物鉄道(JR貨物)新潟支店に所属する社員及びその関連会社に在職し、上記営業区域内に勤務、または住所を有する社員とその家族が組合員資格を持つ組合であった[2]。2022年(令和4年)3月末時点の預金残高で、新潟県内10信組(当時)ではもっとも小さい規模(68億円)であった[3]

2022年(令和4年)3月末現在[2]。おおむねJR東日本新潟支社の営業エリアに準じていたが、新潟県外は山形県庄内地域羽越本線酒田駅以南沿線のみ対象で、同様に新潟支社管轄であった福島県会津地方の一部や山形県置賜地方の一部は区域外であった。

沿革

1957年(昭和32年)7月、国鉄労働組合新潟地域本部(国労新潟地本)が同年1月の組合役員の懲戒免職処分反対を掲げて1週間に渡るストライキ(国鉄新潟闘争)を実施し、結果国鉄新潟鉄道管理局管内(以下新鉄局、ほぼ現在のJR東日本新潟支社管内に相当)ではスイカ・夏野菜の出荷停滞など大きな損害をもたらし、農業者が抗議運動を行うなど国鉄に多くの非難の声が向けられた[4]。これら国労新潟地本の動きに反対する国鉄職員内の民主化勢力は「組合を守る会」を結成し、同年9月1日に国鉄新潟地方労働組合(新地労)を結成、国労の妨害のなかで新鉄局内で約1万人を抱える絶対多数組合となり、のちに他地域も巻き込んだ労使協調路線の労働組合である、新国鉄労働組合(新国労)、鉄道労働組合(鉄労)の結成へとつながっていった[4]

この新地労加入者に対して国労側は新地労発足初年から様々な妨害・嫌がらせを実施したが、その一つとして本来労働金庫法により政治的中立でなければならない労働金庫新潟県労働金庫、労金)に働きかけを行い、新地労加入者の労金締め出し(新規貸付の拒絶、国労復帰をバーターに国労時代に月々返済で契約した借金の一括返済を迫る、同年9月に新地労本部が申請した労金新規加入を事務処理せず事実上拒否)を実行した[4][5]。これに対して新地労は借金の取り立てで困窮する組合員に対し、友誼団体の預金を担保に市中銀行から融資を受け、組合員が取り立てられている労金からの借金返済に充てた[5]。また、貸付に関しては新地労内に発足した新地労金庫が新潟縣信用組合(県信組)に2000万円を預金し、県信組から新地労への融資を元手に、労金と同様の条件で資金の貸付を始めることとなった[5]。この新地労金庫はのちに新地労共済部に組織改編され、組合員から徴収する強制積立を原資に県信組への預金は最末期には約1億4000万円に上った[5]。しかし、新地労共済部の運営はその規模が大きくなるにつれ事務処理・経費負担が増大し、貸出貸付利息の差分(末期は約750万円)で各種事務を行うことに無理が生じ始めた[5]。新地労の労働金庫への加入自体は1960年(昭和35年)2月に入って国会社会労働委員会(現:厚生労働委員会)で民社党議員から質問することが表明されたところで、労働大臣松野頼三からの勧告によりようやく認可されて新地労も一応の出資・加入を行っていたが、共済部の業務を労働金庫へ移行することは前述の経緯から組合感情が許さず、いずれにしても新地労組合員に対して、労働金庫に替わる金融機関の早急な設置が求められることとなった[4][5]

そこで、新潟県内の学校教職員向けに設立・運営され、資金の貸付や福利厚生事業を行っていた財団法人(新潟県教職員厚生財団[6])にヒントを得て、1964年(昭和39年)の新地労定期大会で、組合員向けに生活資金・住宅資金等の資金貸付を行う厚生財団の発足を提言するに至った[5]。しかし、翌1965年(昭和40年)11月5日に組合幹部が所管する労働省労働局に財団の設立関係文書を手渡したところ、労働局側は実質的に金融業務を行うことを理由として大蔵省の了解が必要である、との見解を示した[5]。そこで大蔵省を訪ねたところ対応した大蔵省担当者が、財団法人では預金業務は違法になるので信用組合として設立認可をしてはどうか、との見解を示した[5]。こうして1965年(昭和40年)12月12日の新地労本部臨時大会で、信用組合設立に方針を転換、満場一致で設立が承認された[5]

こうして翌1966年(昭和41年)1月に新潟県知事および新潟財務部長宛に信用組合の認可申請手続きが行われたが[5]、信用組合設立の出発点が思想の相違であることや、新地労組合員のみが対象であること、労働金庫法成立時の「労働金庫は同一都道府県に1つ」の参議院付帯決議、県議会での社会党総評系議員からの突き上げなどの障害によりなかなか大蔵省・県からの認可は下りなかった[4][5]。このため新地労は2月24日副委員長を上京させ、当時民社党書記長であった春日一幸を訪ね、春日ら民社党側を通じて大蔵省に政治工作を実施、結果5月6日に本認可を受けることに成功し[5]新潟地方国鉄信用組合として発足となった。ただし、新潟県外(当時の新鉄局は山形県庄内地方の羽越本線の大半、置賜地方の米坂線の一部、磐越西線の一部福島県内、上越線の一部群馬県内も管轄していた)の新鉄局管内組合員については、当時職域信用組合についても地域信用組合と同様に同一県内に限り都道府県知事が設立の認可をしていたため含めることができず[7]、引き続き新地労が直接対応することとなった[4]。また、この認可の過程で政治的配慮として新潟地方国鉄信用組合は新潟労金へ200万円出資している[4]

1984年(昭和59年)に名称を新潟国鉄信用組合に変更[8]1987年(昭和62年)には国鉄分割民営化に伴い名称を新潟鉄道信用組合に変更[8]1997年(平成9年)6月にはOB/OGの組合員化が認められ[8]2003年(平成15年)には組合員の範囲を従来対象外であった山形県内(酒田地区)の社員やJRグループ会社社員を組合員とすることが可能となった[8]

しかし、2020年代に入りJRグループ従業員の大量退職から貸出金残高が低迷し、財務体質に問題はなかったものの2022年(令和4年)3月期決算で新潟県内10信組(当時)で唯一、コア業務純益で2900万円の赤字を出すなど経営環境が厳しさを増した[3][9]。このため余力があるうちに他信組との合併を行うこととなったが、以前に新潟市を中心とした地域信組であるはばたき信用組合の元幹事が新潟鉄道信組に在籍していたことを縁に、2023年(令和5年)初めにはばたき信組がすでに前年6月7日に合併契約済であった三條信用組合との合併協議に合流を申し出て[3]4月14日にはばたき信組と三條信組との対等合併で基本合意し[2][3]11月20日にはばたき信組・三條信組と対等合併して新潟鉄道信組は解散した[2][3]。なお、これに伴い旧はばたき信組の営業区域に、旧三條信合と旧新潟鉄道信組の営業区域が加わったが、旧はばたき信組・旧三條信組の営業区域を除く新潟県一円と山形県内の一部(前節参照)については、旧新潟鉄道信組の組合員だった者に限っている[10]

3代目本店(JR東日本新潟支社西分館)

年表

  • 1964年(昭和39年)
    • 2月21日:新地労理事会で厚生財団設立の試案を付議[5]
    • 新地労定期大会で厚生財団の発足を提言[5]
  • 1965年(昭和40年)
    • 5月:新地労内に厚生財団設立にかかる専門委員会発足[4]
    • 12月12日:新地労本部臨時大会にて厚生財団に替えて信用組合設立の承認が提案、満場異議なく承認[5]
    • 12月:新潟地方国鉄信用組合設立総会[8]
  • 1966年(昭和41年)
    • 1月24日:新潟県知事および新潟財務部長宛に信用組合の認可申請手続き[5]
    • 5月2日:設立内認可[5]
    • 5月6日:設立本認可(本店:新潟市流作場1016番地2)[5][8]
  • 1971年(昭和46年)9月:本店を新潟市花園2丁目3番26号に移転(同年落成した鉄道労働組合新潟地方本部会館1階に入居[5][8]
  • 1984年(昭和59年)
  • 1987年(昭和62年)10月1日:同年4月1日の国鉄分割民営化に伴い名称を新潟鉄道信用組合に変更[8][12]
  • 1988年(昭和63年)8月:全信組共同センター加盟、オンラインシステムの稼動[8]
  • 1991年(平成3年)11月:本店内に現金自動支払機(CD)を導入[8]
  • 1997年(平成9年)6月:OBの組合員化の認可[8]
  • 1999年(平成11年)11月22日:同日付で本店を新潟市花園1丁目1番3号(当時のJR東日本新潟支社西分館内)に移転[8][13]
  • 2002年(平成14年)8月:本店内に現金自動預け払い機を導入[8]
  • 2003年(平成15年)7月:JRグループ会社及び酒田地区の組合員化の認可[8]
  • 2004年(平成16年)4月:本店窓口営業時間を17時30分まで延長[8]
  • 2011年(平成23年)12月:新本店ビル(新潟市中央区弁天3丁目1番3号)に移転[8]
  • 2012年(平成24年)11月:ホームページ公開[8]
  • 2018年(平成30年)
    • 9月:提携信用組合の対応ATMでの通帳記帳に対応[8]
    • 10月:24時間365日当日振込が可能となる[8]
  • 2019年(令和元年)7月:JR東日本新潟グループ協議会に加盟[8]
  • 2023年(令和5年)
    • 同年初め:地域信組であるはばたき信用組合三條信用組合(2022年6月7日に2組合で合併契約済)の合併協議に合流の申し出[3]
    • 3月:はばたき・三條の両信組と業務提携[3]
    • 4月14日:はばたき・三條の両信組との対等合併で基本合意[2][3]
    • 11月20日:はばたき・三條の両信組と対等合併、手続き上はばたき信組を存続組合として(新)はばたき信用組合発足。新潟鉄道信組は解散[2][3]。旧新潟鉄道信組本店の取引ははばたき信組本店に移行[14]。旧新潟鉄道信組本店は本店新潟駅前出張所ATMコーナーとなる。
  • 2025年(令和7年)7月31日:前述のはばたき信組本店新潟駅前出張所ATMコーナーの稼働を終了[15]

脚注

関連項目

外部リンク

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