施耐庵
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王道生『施耐庵墓志』によれば、名は彦端といい、号は子安もしくは耐庵といった。平江路呉県の出身。本貫は泰州海陵県。至順2年(1331年)、進士となり官途についたが、至正13年(1353年)に元末の反乱軍の首領の張士誠に見込まれて参謀となった。施耐庵は参謀として多くの策略を上申したが、張の勢力が拡大すると、張がおごりたかぶって人の言うことを聞かなくなってしまった。そのため、官を棄てて郷里に帰り、医師や教師をしていた。張が滅亡した後、明を建国した朱元璋が張の残党を厳しく追及したため、施耐庵は隠居。『水滸伝』の元となった『江湖豪客伝』・『三国志演義』・『平妖伝』などを執筆し、門人の羅貫中に校正させていたという。一説に『三国志演義』の著者が施耐庵とされるのは、この「墓誌」による。
