日向丸晃宏
From Wikipedia, the free encyclopedia
来歴
少年時代からスポーツが好きで、水泳、柔道、サッカーに取り組んだ[1]。体が大きかったため周囲に勧められて相撲の大会に出場すると、6年時にわんぱく相撲全国大会まで進んだため、これを機に地元の北方相撲クラブで本格的に相撲を始めることになった[2]。延岡市立南中学校在学中は相撲部が無かったため柔道部に所属したが、夜は移籍した延岡相撲道場に通って相撲の練習を重ねた[2]。2年時に全国都道府県中学生相撲選手権大会で個人8強となった時は、翌年に同大会で優勝して大相撲に入門する青写真を描くも、3年時は怪我で実績を残せなかったため、大相撲入りを延期して静岡県の飛龍高等学校に進学[2]。2年時に全国高等学校相撲選抜大会団体優勝、3年時に全国高等学校総合体育大会相撲競技大会個人8強などの実績を残すと複数の相撲部屋から勧誘を受け、その中から木瀬部屋に入門し、高校卒業直前の2023年1月場所で初土俵を踏んだ[1][2]。
入門後は、師匠の11代木瀬が「うちでも一番稽古をする子」[3]と評するほど熱心に稽古を重ね、三段目時代には部屋の稽古が休みの日にも単身出稽古へ向かったと伝わる[3]。2024年1月場所で新幕下に昇進。この場所は負け越して翌3月場所は西三段目3枚目に番付を下げたが、安青錦の初土俵以来の連勝記録を20で止めて三段目優勝を果たした[4]。続く5月場所以降は幕下に定着し、西幕下2枚目に番付を上げた2025年9月場所の14日目に十両の宮乃風から5勝目を挙げると、翌11月場所での新十両昇進が濃厚と報じられた[5]。場所後の番付編成会議により、11月場所での新十両昇進が決定。合わせて、四股名を本名の長村から、故郷にちなんだ日向丸に改めることも発表された[6]。しかし、新十両の11月場所は5勝10敗の負け越しに終わり、同場所で優勝したもう1人の新十両藤凌駕とは明暗が分かれる形となった。場所後の冬巡業で、横綱大の里ら10人の休場力士に代わって補充で出場することが発表された[7]。しかし、インフルエンザのため冬巡業を途中離脱した[8]。
東幕下2枚目に番付を落とした2026年1月場所は、序盤で1勝3敗と後がなくなるが、そこから連勝し、12日目に組まれた十両白鷹山との7番相撲にも勝利、3連勝で勝ち越しを決める。しかし場所後の番付編成会議で1場所での十両復帰は見送られた。
取り口
小学校6年生で相撲を始めた当時から突き押し一筋[4]。
主な成績
2026年3月場所終了現在
通算成績
- 生涯戦歴:82勝59敗(20場所)
各段優勝
- 三段目優勝:1回(2024年3月場所)
場所別成績
| 一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2023年 (令和5年) |
(前相撲) | 西序ノ口12枚目 4–3 |
東序二段69枚目 6–1 |
東三段目84枚目 6–1 |
東三段目26枚目 3–4 |
西三段目42枚目 6–1 |
| 2024年 (令和6年) |
西幕下54枚目 3–4 |
西三段目3枚目 優勝 7–0 |
西幕下9枚目 1–6 |
西幕下35枚目 4–3 |
東幕下28枚目 3–4 |
東幕下38枚目 4–3 |
| 2025年 (令和7年) |
西幕下28枚目 3–4 |
東幕下35枚目 5–2 |
東幕下20枚目 4–3 |
西幕下14枚目 6–1 |
西幕下2枚目 5–2 |
東十両13枚目 5–10 |
| 2026年 (令和8年) |
東幕下2枚目 4–3 |
東幕下筆頭 3–4 |
東幕下4枚目 – |
x | x | x |
| 各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) | ||||||
改名歴
- 長村 晃宏(ながむら あきひろ)2023年1月場所 - 2025年9月場所
- 日向丸 晃宏(ひむかまる あきひろ)2025年11月場所 -