日向勝 From Wikipedia, the free encyclopedia 日向 勝(ひゅうが まさる、1920年[1] - )は、日本および中華人民共和国の軍人。中国人民解放軍では林勝と名乗っていた。 兵庫県神戸市出身[1]。1942年、豊橋陸軍予備士官学校卒業(砲兵科)。南昌の第34師団に配属され、徐州に転戦。1943年、少尉任官、淮安の警備小隊長となる[2]。 終戦後は八路軍に参加。1946年2月、淮海で新四軍砲兵部隊教育統括責任者となる。八路軍は砲兵部隊がなかったため、一定の文化水準のある将兵を集めて砲兵の教育を基礎から行った。 1946年7月、新四軍砲兵部隊作戦参謀。1948年1月、二九軍へ転属。淮海戦役に参加する。1949年9月、二九軍砲兵団第一営隊長(大隊長)、渡江戦役などに参加する。主要幹部の中にのち駐日大使となる宋之光(中国語版)がいる[3]。第三野戦軍砲兵連隊の作戦参謀や大隊長、砲兵学校教育科長などを務めた。 1951年、再び砲兵学校教育科長。同年、第四野戦軍医療部隊で看護婦をしていた日本人女性と結婚する。最終的に団級にまで上り詰めた。 1958年に日本に帰国する。帰国後は日中旅行会社関西支社長代理などを務める。 脚注 1 2 古川 1994, p. 92. ↑ 古川 1994, p. 115. ↑ 古川 1994, p. 128. 参考文献 古川万太郎『中国残留日本兵の記録』岩波書店。NDLJP:13139105。 「凍てつく大地の歌―人民解放軍日本人兵士たち」 古川万太郎 三省堂 往事長已矣 故人永難忘 ――北京で再会した中日の「戦友」たち 人民中国 2002年8月号[リンク切れ] この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 この項目は、中国の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/P:歴史/P:歴史学/PJ中国史)。表示編集 この項目は、共産主義に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 政治学/プロジェクト 政治)。表示編集 この項目は、軍事上の人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:軍事、プロジェクト:軍事史/Portal:軍事)。表示編集 Related Articles