第34師団 (日本軍)
From Wikipedia, the free encyclopedia
1939年(昭和14年)2月7日に軍令甲弟6号により編成下令[注釈 1]、大阪の留守第4師団の担当で編成され、3月15日大陸命弟274号により華中の第11軍戦闘序列に編入、4月3日に大阪港より出港13日漢口着、中国戦線に投入され武漢方面の警備に従事する。同年12月からは南昌に移駐し同地の警備に従事する一方、1940年(昭和15年)の宜昌作戦、翌1941年(昭和16年)の錦江作戦などにも参戦する。
太平洋戦争開戦後も第11軍隷下華中に在り占領地の警備や治安作戦に従事していたが、1944年(昭和19年)5月から大陸打通作戦に参戦、湘桂作戦では長沙・岳麓山攻略などに従事する。
1945年(昭和20年)芷江作戦に参戦後、4月18日には大陸命第1310号により支那派遣軍直轄部隊となり、南京方面に向けて移動中九江で終戦を迎える。9月16日浦口付近に集結、翌1946年(昭和21年)1月中旬に浦口を発ち30日に上海に、31日より復員のため帰還輸送を開始した[注釈 2]。
師団概要
歴代師団長
- 関亀治 中将:1939年(昭和14年)3月9日 - 1940年(昭和15年)12月2日
- 大賀茂 中将:1940年(昭和15年)12月2日 - 1942年(昭和17年)10月8日
- 秦彦三郎 中将:1942年(昭和17年)10月8日 - 1943年(昭和18年)3月25日
- 伴健雄 中将:1943年(昭和18年)3月25日 - 終戦
参謀長
- 佐武勝司 騎兵大佐:1939年(昭和14年)3月9日 - 1940年9月28日[1]
- 桜井徳太郎 大佐:1940年(昭和15年)9月28日 - 1941年7月1日[2]
- 志村文雄 大佐:1941年(昭和16年)7月1日 - 1942年7月9日[3]
- 石川治水 中佐:1942年(昭和17年)7月9日 - 1944年8月25日[4]
- 迫田穣 大佐:1944年(昭和19年)8月25日 - 終戦[5]