1949年4月、両陣営の代表が北平で会合を開き停戦交渉を試みた。交渉中、共産党軍が積極的に軍事演習を行い、戦役に備えて第2、第3、第4野戦軍を長江北部に移動させて、国民政府に圧力をかけてさらなる譲歩を迫った。長江沿岸にいた司令官の湯恩伯と兵士45万人の防衛軍が江蘇、浙江、江西を受け持ち、白崇禧が25万人の軍を率いて、湖口から宜昌までの長江の一部を防衛した。
共産党代表は最終的に中華民国政府に最後通告を突き付け、4月20日に中華民国政府代表が停戦協定を拒否するように指示されると、その日の夜に人民解放軍が長江を渡り始め、その先の国民政府の拠点に総攻撃を仕掛けた。