日尊 (日興門流)
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概要
略歴
- 文永2年(1265年)、日尊生まる。幼少にて天台僧として出家す。
- 弘安6年(1283年)、奥州三迫六町目の地頭所で日目の教化にあい改衣する〔19歳〕[4]。
- 弘安7年(1284年)、日興に師事する[1]。
- 正応3年(1290年)、大石寺創建と同時に塔中・久成坊を開く。
- 正安元年(1299年)、重須にて日興より勘当される[5]。
- 延慶元年(1308年)、諸国を遊行し、京都山城に法華堂(後の要法寺)を開いた。
- 応長元年(1311年)、勘当を解かれる[2] 。
- 正慶2年/元弘3年(1333年)春、日郷と日目に随って天奏(天皇に仏法を説くこと)にのぞむ。その途中、美濃の垂井で日目が死去するも、その意志を継いで入洛した[2]。
- 正慶3年/建武元年(1334年)春、後醍醐天皇に天奏を行った。その功績によって京都の朝廷より六角油小路に寺地を寄進される。
- 暦応元年(1338年)、再び入洛[2]。
- 暦応2年(1339年)、六角油小路に上行院を創し、日興門流の京都基盤を確立する[2]。
- 康永3年(1344年)10月13日、会津実成寺から弟子の日印を招いて上行院を授けた[6]。
- 康永4年(1345年)5月8日、京六角上行院開基〔京要法寺4代〕太夫阿日尊寂(81歳)[6]。