日本海観光フェリー
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北陸新幹線の建設を見越して金沢市に拠点を置き能登半島周辺での観光開発を検討していた名古屋鉄道が中心となり[2]、交通網が不足する能登半島と佐渡島を結ぶカーフェリー航路の開発と能登・佐渡両地域の発展を目的として名鉄や石川県・新潟県財界の出資で1973年6月に設立され、1975年4月12日より珠洲飯田 - 小木間の航路を開設[1]。
当初20万人程の利用客を見込んだが利用者数は振るわず初年度から損益分岐点の9万人を割り込む8万4千人に留まりその後は年7万人程度に下降[3]、1977年11月時点で就航以来3年間で15億円の赤字を計上[4]。
1978年と1979年は、4月から10月まで、大型ホーバークラフト2隻[5]で七尾港 - 小木港間で季節運航したが[6]、1980年2月に休止申請[7]、1981年3月に廃止となっている[8]。
珠洲飯田港のフェリーターミナル棟は航路廃止後も残存しレストラン等に用いられ、2017年からはEAT & ART TAROにより奥能登国際芸術祭の一環で飲食を介したコミュニケーションを図った常設作品「さいはてのキャバレー」として[9]、案内所やイベント会場などに用いられたが[10]、2024年に発生した能登半島地震にて津波が直撃し内部の大半の備品が損壊[11][10]、2000年に古澤洋子が外壁に描いたイルカの壁画の大半が残存し「奇跡のイルカ」とも呼ばれるも2024年6月に奥能登国際芸術祭実行委員会が解体を決定し[11]、2025年7月から解体された[12]。
