日本飼料ターミナル
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| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 |
東京都中央区八重洲一丁目5番4号 |
| 設立 | 1969年(昭和44年)1月20日 |
| 業種 | 倉庫・運輸関連業 |
| 事業内容 | 鉄道により輸送される飼料類の積卸施設及び荷さばき施設の運営 |
| 資本金 | 966百万円(1973年(昭和48年)4月1日現在) |
| 決算期 | 3月末日 |
| 主要株主 |
日本国有鉄道 50% 日本農産工業 日本配合飼料 アミノ飼料(現・伊藤忠飼料) |
| 特記事項:1986年(昭和61年)10月31日臨時株主総会決議により解散 | |
日本飼料ターミナル株式会社(読みは「にっぽんしりょうターミナル」、「にほんしりょうターミナル」のいずれか不明)は、日本全国の15鉄道駅で配合飼料用のサイロを運営していた会社である。国鉄と飼料メーカー各社の出資で1969年(昭和44年)に設立されたが、配合飼料鉄道輸送の不振を受けて1986年(昭和61年)に解散した。
設立
昭和30年代まで、配合飼料は主に袋詰めで出荷され、有蓋車や一般のトラックで輸送されていた。しかしながら、鶏卵・鶏肉の消費拡大につれて、養鶏業は大規模化し、配合飼料の大口需要家が出現すると、大口需要家に対しては、包装の手間、積み卸しの手間、使用に際して袋を破る手間を削減できるばら積み輸送が求められるようになった。
国鉄は、1966年(昭和41年)に30t積ホッパ車・ホキ2200形を製作し、これを使って穀物・飼料のばら積み輸送を試験した。1967年(昭和42年)に農林省(現・農林水産省)が配合飼料のばら積み輸送を許可したので、国鉄は配合飼料のばら積み輸送を本格的に開始した。そして、配合飼料の到着駅の荷役設備を整備すべく、1969年(昭和44年)に日本飼料ターミナルを設立した。
国鉄は当時、鉄道貨物輸送の効率化を目指して、物資別適合輸送と称する施策を実施していた。物資別適合輸送の内容の第1は、効率的な輸送と機械荷役を可能にする専用貨車を物資の性質に合わせて開発するというものであり、ホキ2200形式の開発もその一環であった。
また、物資別適合輸送の内容の第2は、大量かつ計画的に出荷される物資の発着駅を集約し、発着駅は機械荷役設備を設置した基地とし、専用貨車で組成された直行列車を基地間に設定するというものであった。基地の設備は、特定少数の荷主が専用するものではあるが、1社のみが使用するものでもないので、基地の設置・運営は国鉄と荷主各社との共同出資による会社が行うのが適当であるとされた。日本飼料ターミナルは国鉄と飼料メーカー各社の出資で設立された会社であり、配合飼料の基地を設置・運営することを目的とした。
斜陽化および廃業
会社は1969年度(昭和44年度)から1976年度(昭和51年度)までの間に全国に15か所の基地を建設した。各基地に設置されたサイロは合計512基であった。会社の取扱高は1972年度(昭和47年度)に50万トン、1973年度(昭和48年度)に62万トンと増え、1978年度(昭和53年度)には73万7255トンのピークを迎えたが、当時は同時にモータリゼーションが進行しており当初期待されたほどの取扱高ではなかったようである。
その後、道路整備が着実に進められたこと、繰り返される労働争議と運賃値上げで国鉄が荷主の信頼を失ったこと、養鶏業の集積地が移動したこと等の事情により、日本飼料ターミナルの取扱高は急速に減少した。取扱高は1982年度(昭和57年度)には42万トンであったものの、同年11月にはダイヤ改正で多くのローカル線の貨物列車が廃止され、その中には竹松駅のある大村線、下土狩駅のある御殿場線も含まれていたため、竹松、下土狩の基地では鉄道による入荷が不可能になった。これらの事情によって1984年(昭和59年)より休止される基地が続出し、1985年度(昭和60年度)には7基地で17.8万トンを取り扱ったのみであった。会社は昭和61年11月ダイヤ改正の前日を以って廃業および解散した。