日近合戦
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開戦に至る経緯
開戦後の経緯
2月14日 - 2月20日(旧暦)
2月14日栗生将監の居城秦梨城を奥平貞勝が攻め落とし、2月20日に大林にて本陣を構えるが、松平忠茂・松井忠次率いる軍に苦戦し日近城まで後退するが、奥平軍の放った矢が忠茂の胸に当たり、大林で戦死した。弘治2年2月27日松平亀千代宛今川義元安堵判物によれば、「去廿日、父忠茂於保久大林討死、忠節之至也……」とあり、弘治2年(1556年)2月20日に忠茂が大林付近で戦死したことが解る。(「観泉寺所蔵今川文書」)[2]。同日夜天野源太郎の屋敷に泊まった松平元康が奥平貞勝の夜襲にあったが一命を取り留めた。
2月27日(旧暦)
2月27日に山内俊英らが約200の兵を引き連れ日近城を攻略し真木治重も連合軍側に加わった。