早川 (山梨県)
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かつては、富士川の支流の中でも急流の一つに数えられていたが、水力発電所同士が地中のパイプで送水するようになり、水量が減っている。
流域からは木材を産し金の採掘も行われ、戦国時代には河内領主の穴山氏が領する。早川入と呼ばれた木材生産は江戸時代にも継続され、筏によって流送されると富士川を通じて江戸へ回送され、天保15年(1844年)の江戸城本丸焼失に際しては再建用材として使用されている。 第二次世界大戦後、木材需給が逼迫する中で注目され、上流域では野呂川奥地開発事業が進められた。 1957年(昭和32年)に行われた昭和天皇の山梨県行幸では、野呂川林道(南アルプススーパー林道の前身)が視察先の一つにも選ばれた[1]。一方、流域は急峻な地形であり、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風の時に甚大な被害を受けたことから、国土交通省関東地方整備局富士川砂防事務所早川出張所が設置され、砂防事業を行っている。


