昌壽寺 (岐阜県白川町)

From Wikipedia, the free encyclopedia

所在地 岐阜県加茂郡白川町赤河1444-6
山号 天桂山
創建年 永享5年(1433年)
昌壽寺
所在地 岐阜県加茂郡白川町赤河1444-6
山号 天桂山
宗派 臨済宗妙心寺派
創建年 永享5年(1433年)
中興年 平成4年(1992年)
法人番号 3200005006606
テンプレートを表示

昌壽寺(しょうじゅじ)は、岐阜県加茂郡白川町赤河にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は天桂山。 1870年明治3年)苗木藩の廃仏毀釈の際に廃寺となったが、1992年平成4年)に、現在地に再興されて今日に至っている。

元は赤河村の増田にあった。

大沢八郎の系譜によると

足利治部大輔尊氏公の御治世、文和元年[1]十二月 祥雲山 福禅寺建立 開基 心契禅師は 尾州海東郡直江郷[2] 極楽寺[3]二世なり。貞治五年[4] 當處 安弘見郷に転住す。一山伽藍を造営し開基なり。永享三年[5]福禅寺焼亡に及び、其の後 真言宗 天桂山昌壽院 無住なるに依って 祥雲山を天桂山に移し、院号をもって昌壽寺とし、同五年[6]二月 紫雲臺を建立し 観世音菩薩を安置し奉る。

永享3年(1431年)に曹洞宗の祥雲山 福禅寺が焼亡したため、永享5年(1433年)に無住であった真言宗の天桂山 昌壽院に移って、曹洞宗の昌壽寺が創建されたことが分かる。 この時に焼け残った経文が、この家に残っている。

願主 尾州 海東郡 直江郷 極楽寺 第二世住持 比丘 心契


延文元年[7] 丙申 八月 日 書写了 比丘 壽泰
于時 延文二年[8]丁酉 大簇[9]之月 三八日 禺中[10]尅 於 尾州 愛知郡 那古野庄[11] 亭出 書写了  隠倫 沙門 金資 (花押) 

元和元年(1615年)、初代苗木藩主の遠山友政は、苗木城の傍らに菩提寺として雲林寺を開基した。

遠山友政は、その後、領内に雲林寺の末寺を創建したり、従来から存在した他宗派の寺院を臨済宗妙心寺派に改宗して末寺とした。昌壽寺は曹洞宗から改宗されて末寺となった寺院の一つである。

昌壽寺は、赤河村と福地村を檀家としていた。

その後の経緯は、廃仏毀釈の際に古記録が処分されたため不明となっている。

明治3年(1870年)9月に苗木藩の廃仏毀釈が断行され、領内の各寺院に対して厳しく廃寺と還俗が申し渡された。

九世の義孝は、やむなく還俗し、小池桂左衛門に改名し、寺の建物と寺有地を貰って神官となった。

昌壽寺は、一軒家の板葺であったが、建物は久田見村に売り払われた。

廃寺後は、更地となり、民家が3軒建てられたが、現在は2軒となっている。

廃仏毀釈により縦方向に半分に割られた昌壽寺の寺号標が、赤河神社の階段を修繕した際に発見された。

この左半分だけの寺号標が石段の登り口に立てられている。

廃寺前の歴代住持

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI