昌壽寺 (岐阜県白川町)
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元は赤河村の増田にあった。
大沢八郎の系譜によると
永享3年(1431年)に曹洞宗の祥雲山 福禅寺が焼亡したため、永享5年(1433年)に無住であった真言宗の天桂山 昌壽院に移って、曹洞宗の昌壽寺が創建されたことが分かる。 この時に焼け残った経文が、この家に残っている。
元和元年(1615年)、初代苗木藩主の遠山友政は、苗木城の傍らに菩提寺として雲林寺を開基した。
遠山友政は、その後、領内に雲林寺の末寺を創建したり、従来から存在した他宗派の寺院を臨済宗妙心寺派に改宗して末寺とした。昌壽寺は曹洞宗から改宗されて末寺となった寺院の一つである。
昌壽寺は、赤河村と福地村を檀家としていた。
その後の経緯は、廃仏毀釈の際に古記録が処分されたため不明となっている。
明治3年(1870年)9月に苗木藩の廃仏毀釈が断行され、領内の各寺院に対して厳しく廃寺と還俗が申し渡された。
九世の義孝は、やむなく還俗し、小池桂左衛門に改名し、寺の建物と寺有地を貰って神官となった。
昌壽寺は、一軒家の板葺であったが、建物は久田見村に売り払われた。
廃寺後は、更地となり、民家が3軒建てられたが、現在は2軒となっている。
廃仏毀釈により縦方向に半分に割られた昌壽寺の寺号標が、赤河神社の階段を修繕した際に発見された。
この左半分だけの寺号標が石段の登り口に立てられている。