明日香親王 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 平安時代初期生誕 不詳薨去 承和元年2月23日(834年4月5日)官位 三品上野太守明日香親王 『前賢故実』より時代 平安時代初期生誕 不詳薨去 承和元年2月23日(834年4月5日)官位 三品上野太守父母 父:桓武天皇、母:紀若子兄弟 平城天皇、朝原内親王、長岡岡成、伊予親王、良岑安世、嵯峨天皇、淳和天皇、葛原親王、大宅内親王、高津内親王、万多親王、高志内親王、明日香親王、仲野親王、佐味親王、坂本親王、賀陽親王、布勢内親王、葛井親王、安勅内親王、賀楽内親王、菅原内親王、甘南美内親王、伊都内親王、他子 久賀三夏、久賀三常テンプレートを表示 明日香親王(あすかしんのう)は、桓武天皇の第7皇子。官位は三品・上野太守。 弘仁2年(811年)四品・弾正尹に叙任される。弘仁9年(818年)親王の号を除き臣籍降下して朝臣姓を与えられたい旨を上表するも許されなかったが、なおも子女の臣籍降下を求めて許され、子女4名に久賀朝臣姓が与えられた[1]。以降これに倣って、二世王への賜姓が競って行われるようになったという[2]。弘仁12年(821年)三品に叙せられる。 天長8年(831年)上野太守に任ぜられる。承和元年(834年)2月13日薨去。 人物 生まれつき質朴な性格で、浮華を良しとしなかった。弘仁年間は奢侈な風潮で、王公貴人は鮮やかな衣服を非常に好んだが、明日香親王だけは夏になっても朝服を何度も洗濯して使用した。また、馬小屋の走行用の馬を売却して邸宅の費用を支えるなど、節約に努めたという。[2] 官歴 『六国史』による。 弘仁2年(811年) 正月24日:四品。4月5日:弾正尹 弘仁12年(821年) 正月7日:三品 弘仁13年(822年) 正月2日:賜度一人 天長8年(831年) 正月25日:上野太守 承和元年(834年) 2月13日薨去 系譜 父:桓武天皇 母:紀若子(紀船守の娘) 妻:不詳 男子:久賀三夏 男子:久賀三常 女子: 女子: 脚注 ↑ 『日本後紀』弘仁9年8月22日条 1 2 『続日本後紀』承和元年2月23日条 参考文献 森田悌『続日本後紀 (上)』講談社学術文庫、2010年 Related Articles