高津内親王

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高津内親王(こうづ/たかつないしんのう)は、桓武天皇の第12皇女。母は従五位下坂上又子苅田麻呂の娘)。嵯峨天皇となったが、後に妃を廃せられた。

延暦20年(801年)11月9日、異母姉妹の大宅内親王高志内親王と共に加笄の儀(女子の成人式)を行った[1]。異母兄にあたる神野親王と結婚し、親王が嵯峨天皇として即位するにともない、大同4年(809年)6月13日、となり三品に叙せられた[2]業良親王業子内親王を生んだが、業良親王は精神に異常があったといわれ[3]、それが原因かどうか、薨去するまで無品のままであった。高津内親王もほどなく妃を廃せられたが、その原因は薨伝に「良有以也(まことにゆえあるなり)」とあるだけで一切が不明である。業良親王の精神問題と絡んで、背後に何らかの陰謀があったと思われ[注釈 2][注釈 3]、高津内親王が漢文を下敷きにして詠んだ歌「直き木にまがれる枝もあるものを毛を吹き疵を言ふがわりなさ」(『後撰和歌集』)がそれを仄めかしつつ、内親王の憤慨を伝えている[注釈 4]

系譜

脚注

参考文献

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