明治生命館
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 明治生命館 | |
|---|---|
|
| |
| 情報 | |
| 設計者 | 岡田信一郎、岡田捷五郎 |
| 構造設計者 | 内藤多仲 |
| 施工 | 竹中工務店 |
| 建築主 | 明治生命保険(現・明治安田生命保険) |
| 管理運営 | 明治安田ビルマネジメント |
| 構造形式 | 鉄骨鉄筋コンクリート造 |
| 敷地面積 |
※1,469.330坪 |
| 建築面積 |
※1,172.877坪 |
| 延床面積 |
※9,584.149坪 |
| 階数 | 地上8階、地下2階 |
| 高さ | 地盤面上扶壁アンテミオン上端まで100尺、最高塔屋上端まで115.84尺 |
| エレベーター数 | 乗用8台、事務用2台、荷物用1台、書類用3台、料理用2台、賄所専用1台(何れも竣工時) |
| 着工 | 1930年(昭和5年)9月12日 |
| 竣工 | 1934年(昭和9年)3月31日 |
| 所在地 |
〒100-0005 東京都千代田区丸の内2丁目1番1号 |
| 座標 | 北緯35度40分44.27秒 東経139度45分41.29秒 / 北緯35.6789639度 東経139.7614694度座標: 北緯35度40分44.27秒 東経139度45分41.29秒 / 北緯35.6789639度 東経139.7614694度 |
| 文化財 | 重要文化財 |
| 指定・登録等日 | 1997年(平成9年) |

明治生命館(めいじせいめいかん)は、東京都千代田区丸の内二丁目にある建築物である。設計は岡田信一郎・捷五郎(兄弟)、構造設計は内藤多仲、施工は竹中工務店が手掛けた。重要文化財には「明治生命保険相互会社本社本館」として指定されている。
1928年(昭和3年)、明治生命は業務の拡大に伴い、当時の三菱第2号館(コンドル設計)の隣りに新社屋の建設を決定した。指名コンペ方式で、岡田信一郎が設計者に選定された。旧社屋を取り壊す計画に変更し、1930年(昭和5年)9月に起工、1934年(昭和9年)3月31日に竣工した。
太平洋戦争中の金属回収によりエレベータ、窓の装飾グリルなどの多くが失われた。終戦後の1945年、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収され、アメリカ極東空軍司令部として使用された。対日理事会の第1回会議は、2階の会議室で行われている。1956年(昭和31年)、アメリカ軍から明治生命に返還され、装飾類の復元が行われた。
1997年(平成9年)、昭和の建造物として初めて重要文化財の指定を受けた[1]。 2001年(平成13年)以降の再開発では、前年の建築基準法・都市計画法の改正の際に導入された特定容積率の適用を受けて、隣接する30階建ての明治安田生命ビル(丸の内マイプラザ)に容積率を移転することで、明治生命館の本体は内部を含めて保存されることになった。改修後の2005年から、1・2階の一部が一般公開されている[1]。現在も明治安田生命保険の本社屋として現役利用されている。1階には同社の「丸の内お客様ご相談センター」のほか、2022年(令和4年)10月1日には、三菱創業150周年記念事業の一環として、静嘉堂文庫(世田谷区岡本)の展示室が移設され、「静嘉堂@丸の内」としてオープンしている[2][3]。
各国が日本へ派遣した特命全権大使・特命全権公使が天皇に対して信任状を提出する信任状捧呈式の際には、東京駅丸の内口から馬車か車で皇居内の宮殿まで移動する慣例となっているが、東京駅の改装等により、2007年(平成19年)4月以降は明治生命館前から出発していた[4][5]。しかし、2017年に東京駅前の工事が完成したことを受け、12月11日の駐日ベナン大使の信任状捧呈から、再び東京駅前からの出発に改められた[6]。