昭南忠霊塔
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1942年2月15日に英軍が降服してシンガポール攻略戦が終わり、日本軍(第25軍)がシンガポールを占領すると、第25軍司令官の山下奉文中将は、シンガポール最大の激戦地となり、日英双方に多くの犠牲者を出したブキテマ高地を「武威山」と命名、マレー作戦およびシンガポール攻略戦で戦死した3,500柱の英霊を慰めるため、同高地に山下が自ら設計した忠霊塔が建設されることになった[2]。
忠霊塔の建立は、昭南神社と同じく、当初は横山部隊(第15独立工兵連隊)、後に田村部隊(工兵第5連隊)が担当し[3]、1942年5月頃から数週間かけて、連合軍の捕虜を使役して、ブキット・バトクの丘の上に至る参道が建設された[4][5][6][7][8]。ブキテマ街道から丘の頂上まで百数十段の石の階段が3段にわたって作られた[9]。
忠霊塔は同年9月に竣工し、9月10日に除幕式が行なわれた[10][11]。第25軍軍政顧問の徳川義親は、マライ各州のスルタンから忠霊塔建設のための寄付金を徴収し、除幕式の後、同月13日にジョホール州のスルタンから5,000円、翌10月9日にケダ州のスルタンから5,000円を受領した[10]。
忠霊塔は、先端を円錐状の銅で覆った高さ12メートルの木造の塔だった[12]。塔の北側には高さ約3メートルの十字架標が建てられ、連合軍戦死者の霊を弔った[13]。

