昭南神社
From Wikipedia, the free encyclopedia
拡張計画
1942年2月、日本軍のシンガポール占領直後、第25軍参謀・林忠彦少佐は、当時在留日本人の家庭で使用人をしていて、戦乱の中で家の裏にあった祠の御神体を安全な場所に移していたという2人のマレー人を表彰すると発表し[7][8]、更に市の職員に「戦前からシンガポールにあった神社や祠の管理はどうなっているか」と尋ねた[7]。職員が「今は占領直後で、電気水道の修理や混乱した市内の秩序回復に忙しく、神社まではとても手が回らない」と答えると、林は「狂信者に特有の、物凄い憤怒の形相」をあらわし、「貴様等のそういう根性が腐っているのだ。神社にまで手が回らないとはなにごとだ。何のための秩序回復か。さっそく皆と相談して具体策を立てて持って来い」と怒鳴った[9]。
間もなく照南神社を拡張し[5]、シンガポール郊外のマクリッチ水源地西端のシンガポール・アイランド・クラブ・ゴルフ場にかかる一帯に、新たに「昭南神社」を建立する計画が発表された[9][10]。
造営
軍司令部は、横山部隊[12]に神社造営を命令し、工事は1942年5月頃から同年10月までの間[13]、連合軍の捕虜2万人を使役して行われた[14]。建設途中、乾季が終わろうとする頃に、横山部隊はインパール作戦参加のためビルマへ転進し、田村部隊(工兵第5連隊)が工事を引き継いだ[15][16][17]。
1942年10月に昭南神社は竣工した[18][19]。ゴルフ場のクラブハウスの横からコースを横切って参道が作られ、西から水源地に注ぐ小川を五十鈴川に見立てて、その上に朱塗りの太鼓橋が架けられ、橋の前後に鳥居が立てられ、玉砂利を敷き、橋を渡ったところから石段を造成、拝殿と神殿は日本から運んだ檜材を使い、総檜造りで建てられた[14][20]。