1942年2月15日から[3]1945年8月15日までの間に、シンガポール市内のオートラム路にあった陸軍刑務所で、同刑務所の関係者が共謀して、戦争の法規と慣例に違反して、同所に収容中の連合軍の俘虜・抑留者と一般市民を虐待し、連合国人[4]約41名を死亡させた[5]。
神谷[6](1967)は、死者の多くは、陸軍刑務所が開設される前の、憲兵隊の囚禁場時代の不適切な管理が原因で、囚禁場時代ないし陸軍刑務所開設後の短期間に相次いで衰弱死した病人と、戦争末期に食糧事情の逼迫や薬品の不足により死亡した病死者だったとしている[7]。