時の鐘 (さいたま市)
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近世
江戸時代の寛文11年(1671年)、第4代岩槻藩主の阿部正春は岩槻城の鐘として、渋江口に初代の銅鐘を置いた[1]。初代の鋳物師は渡辺近江掾正次[2]。貞享4年(1687年)時点では4人の足軽や中間などが鐘搗役(かねつきやく)を担っていた[2]。
享保5年(1720年)には第3代岩槻藩主の永井直陳によって銅鐘が改鋳された[1]、2代目の鋳物師は小幡内匠勝行[2]。文政11年(1828年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には、渋江町の名主が鐘撞き役を担っていたことが記録されている[2]。江戸時代には一日に12回鐘を撞いていた[3]。
鐘楼は天保年間(1831年-1845年)に焼失したが、第7代岩槻藩主の大岡忠恕の時代に建て替えられた。鐘楼は袴腰造であり、屋根は宝形造の瓦葺である[2]。児玉南柯とともに「岩槻に過ぎたるもの」として謳われた。
近代・現代

明治維新後には鐘撞きが途絶えたものの、大正時代には朝夕6時の鐘として復活した[3]。また、大正年間頃と1957年(昭和32年)には鐘楼の修理が行われた[2]。
1958年(昭和33年)2月21日には銅鐘が岩槻市指定有形文化財(工芸品)に指定された[1]。1992年度(平成4年度)には鐘楼の大規模修理が行われ、鐘楼の屋根に据えられていた露盤宝珠、鐘楼の棟札はさいたま市立岩槻郷土資料館で展示されることとなった[2]。平成年間には自動鐘撞き器が導入された[2]。2005年(平成17年)4月1日に岩槻市がさいたま市に編入合併されると、さいたま市指定有形文化財に指定された[1][4]。
2011年(平成23年)5月1日からは、観光客向けに約140年ぶりに正午の鐘をも鳴らすようになった[3]。
鐘撞き時刻
- 6時
- 12時
- 18時