普門寺 (掛川市)

From Wikipedia, the free encyclopedia

所在地 静岡県掛川市西大渕6429番地
位置 北緯34度41分36.6秒 東経137度59分10.1秒 / 北緯34.693500度 東経137.986139度 / 34.693500; 137.986139座標: 北緯34度41分36.6秒 東経137度59分10.1秒 / 北緯34.693500度 東経137.986139度 / 34.693500; 137.986139
山号 千手山
宗派 天台宗
普門寺

本尊を祀る観音堂
(2025年12月31日撮影)
所在地 静岡県掛川市西大渕6429番地
位置 北緯34度41分36.6秒 東経137度59分10.1秒 / 北緯34.693500度 東経137.986139度 / 34.693500; 137.986139座標: 北緯34度41分36.6秒 東経137度59分10.1秒 / 北緯34.693500度 東経137.986139度 / 34.693500; 137.986139
山号 千手山
宗派 天台宗
本尊 聖観音(聖観世音菩薩)
創建年 伝・704年(慶雲1年)
開山 伝・行基
開基 伝・文武天皇
正式名 千手山普門寺
札所等 遠州三十三観音霊場12番[1]
遠江三十三観音霊場番外5
法人番号 9080405004786 ウィキデータを編集
テンプレートを表示

普門寺(ふもんじ)は、静岡県掛川市西大渕にある天台宗寺院

山門(2025年12月31日撮影)
不動天神建立に関する松平重勝からの寄進について記した手形(『安西照長手形』元和6年2月18日、普門寺蔵)[2]

寺伝によれば、慶雲元年(704年)文武天皇の勅命により、行基が千手の峰に立てたのがこの寺の始めであるという。法相宗として13代まで続いたが、天台宗となったのは14代の時からである。

その後、治承元年(1177年)平重盛高倉天皇の病気平癒[1]と海上安全、船中無難を祈って寺の場所を現在地に移し、諸堂を再建すると共に、最澄(伝教大師)の作という聖観世音菩薩を安置した。戦国時代に兵乱に遇って諸堂すべて焼失し、衆徒多くは乱を避けて所々へ逃れ、寺に残る者はなかった。

しかし、1574年(天正2年(1574年)豪憲が帰山し、衆徒を招集し門前には百姓など呼び集め住まわせた。続いて初代横須賀城大須賀康高により諸堂が再建されたので普門寺は元の姿を取り戻した。寺領も徳川氏より朱印高37石を贈られ朱印寺となった。隣接した所に、寺の守り神として八所神社がある。普門寺は近郷にない古い歴史をもつ寺である。

境内

弁天堂(2025年12月31日撮影)
善光寺堂(2025年12月31日撮影)
波切不動尊堂(2025年12月31日撮影)
観音堂
境内には観音堂が建てられている。普門寺の本尊である聖観世音菩薩が祀られている[1][3]。この像は最澄の手によるものとされ[3]、平重盛が比叡山から勧請したと伝えられている[3]。また、脇侍の像も2体祀られている[3]。ただし、これらの像はいずれも秘仏とされているため[3]、御前立として千手観音の像が祀られている[3]
弁天堂
また、境内には弁天堂が建てられている[3]平重盛厳島より勧請したと伝わる弁天の像を祀っている[3]。ただし、この像は秘仏とされており、御前立として九頭竜弁天の像が祀られている[3]。この像は戸隠山より譲り受けたとされている[3]。現在の堂は、嘉永元年(1848年)から3年かけ、時の城主西尾忠固の命で藤原昌敬により建築された。
善光寺堂
さらに、境内には善光寺堂も設けられている。信濃の善光寺一光三尊阿弥陀如来の像を模したものとされる[3]。この像も最澄の手によるものとされている[3]
波切不動尊堂
また、境内には波切不動尊堂も設けられている。金毘羅大権現の像、波切不動尊の像、秋葉三尺坊大権現の像が祀られている[3]
西国三十三所に見立てた堂宇
西国三十三所に見立てて33の堂宇が立ち並んでおり[3]、これらの堂宇を順に参詣することを「西大谷三十三番観音霊場巡り」と称している[3]。これらの堂宇には西国三十三所の各寺院の本尊が祀られている。これは普門寺の信徒が町丁ごとに分担を決め、それぞれ西国三十三所の寺院より直接勧請を受けたうえで[3]施主として堂宇を建立したという[3]

文化財

  • 普門寺弁財天堂(掛川市指定有形文化財)[4]
  • 八所神社旧社殿(掛川市指定有形文化財)[4]

脚注

関連事項

参考文献

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI