即位する前に秦の人質となっていた時期がある[1]。
安釐王34年(前243年)、父の安釐王が死去したため即位した。同年には秦を恐れさせた叔父の信陵君も死去した[1]。信陵君の死去を知った秦は直ちに魏の侵略を開始[2]。
景湣王元年(前242年)、秦は魏の20城を攻め落とし、そこに秦の東郡を設置した[3]。
景湣王2年(前241年)、魏は趙・楚・燕・韓と合従して秦を攻めたが、敗れた[4]。同年に朝歌を秦に奪われた[3]。
景湣王3年(前240年)、秦軍に汲を奪われた[3]。
景湣王5年(前238年)、垣・蒲陽・衍などが秦に奪われた[3]。
景湣王8年(前235年)、魏は秦と連合し、楚を攻めた[5]。
景湣王15年(前228年)、在位15年目に死去した[3]。太子の假が跡を継いで王となったが、3年後に魏は滅亡した。