晴川閣
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- 晴川閣
- 明の嘉靖26年から28年(1547年から1549年)にかけて、漢陽知府范之箴が禹稷行宮を修復した時に建てられたのが晴川閣である。唐代の詩人崔顥の登黄鶴楼の詩より命名された[3]。
- 昔人已乗黄鶴去
此地空余黄鶴楼
黄鶴一去不復返
白雲千載空悠悠
晴川歴歴漢陽樹
芳草萋萋鸚鵡洲
日暮郷關何處是
煙波江上使人愁
- 昔人已乗黄鶴去
- 1935年に倒壊した後、1983年に再建された。
- 禹稷行宮
- 禹稷行宮(または禹王宮・大禹廟)は南宋の紹興年間(1131年から1162年)に建てられたとされている。以後、武漢において夏朝の創始者である伝説的な帝「禹」を祀る施設とされてきた。現在の建物は清の同治2年(1863年)に再建されたものであり、武漢市内で清代の代表的な木造建築とされる。
- 三国時代(184年から280年)に造られたとされ、その後、唐代初期までの数百年間に渡ってこの地の攻城戦において重要な位置を占めた城門・軍事要塞。その後、漢陽城塞が築かれた後には鉄門関の重要性は下がり鉄門関は廃止された。清代初期にはこの場所に関帝廟が建てられるに至った。現在見られる鉄門関は、1900年12月に復元されたものである。
- 禹碑亭
- 朝宗亭
- 楚波亭
- 荊楚雄風碑
- 敦本堂碑