暎嬪李氏
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1696年に李楡蕃の娘として誕生。1701年に女官として入宮。1726年に英祖の寵愛を受け、側室の身分である淑儀に封じられた[1]。1727年に和平翁主を出産したことを機に貴人、側室の最高位である嬪に昇格していった。
1727年から1738年の間に荘献世子などの7人の子女を出産したが、和緩翁主を除く6人は若くして亡くなっている。特に和平翁主は、夫の寵愛を大いに受けた。1748年に和平翁主が亡くなると、深く悲しんだ。
息子の荘献世子は夫との葛藤で精神を病むようになり、さらに世子が女官や宦官を殺害するという奇怪な行為に悩まされた。1762年に老論派が世子を非難していく中、彼女は夫の英祖に息子の奇行を告げ、息子を処刑する様に奏上した[2]。同年に息子は米櫃に閉じ込められ、餓死。
1764年に68歳で病の為、死去。息子の死から2年後のことであった。