裴松之の注に引用される『魏書』には、曹真が曹操の従子(おい)であると記されている(『三国志』「曹真伝」)。
初平元年(190年)[2]、曹邵は曹操が挙兵した時に一族として呼応した。しかし、豫州刺史であった黄琬に殺害されてしまった[3]。ただし、曹真の父は秦伯南という人物であったという異説もあり、こちらが正しいとすれば曹邵などという人物は存在しなかったことになる[4]。
こうして、曹操は曹真が年少の身で父を失ったことを憐れみ、自らが引き取って他の子と同じように養い、(おそらく同年代であった)曹丕と起居を共にさせたという(『三国志』「曹真伝」)。