曹騰
中国後漢末期の宦官。中常侍・大長秋。
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生涯
年少の頃黄門の従官となり、皇太子劉保(後の順帝)の学友の一人として抜擢された。
その後、政治家としても活動し[6]、125年、順帝が即位すると小黄門に任じられた。安帝・順帝・沖帝・質帝の四帝に仕え、その間中常侍・大長秋にまで昇進し宮中に仕えること三十余年に及んだ。桓帝の時代には費亭侯に封ぜられ、特進の位を与えられた。
優れた人物を抜擢することが好きで、陳留の虞放・辺韶、南陽の延篤・張温、弘農の張奐、潁川の堂谿典などの人物が引き立てられ、高官に登った。しかし曹騰は彼らに恩着せがましい態度を取ることはなかった。
蜀郡太守が曹騰に贈賄の使者を送った際、益州刺史の种暠は函谷関での取り調べでその文書を手に入れた。种暠は皇帝に対し曹騰を免職するように上奏したが、皇帝は「外部からの書状であり、曹騰の関与は認められない」としてその申請を却下した。曹騰はこの件を意に介する事無く、种暠の節度を賞賛した。後に种暠は司徒となると「今日三公となれたのは曹常侍のおかげである」と語った。