霊光郡霊光邑白鶴里にある「昌寧曺氏観海公家屋」は国家登録文化財第678号に指定されている[3]。
1948年の初代総選挙では霊光郡選挙区から無投票で当選した[3]。
制憲国会議員時代はソウル市内で病院としても使えるほどの大きな邸宅に住んでいたが、朝鮮戦争の時は人民委員会の事務室として使われたため、議政活動に関する資料はすべて消えた[3]。
民主党の闘士であり、自由党側から見れば厄介な存在である[1]。
1960年11月23日に行われた第5代国会第37回第48次国会本会議で憲法改正案についての討論中、鄭南奎(朝鮮語版)に対し度が過ぎた野次を飛ばしたため、国会議長を務めていた郭尚勲に退場を命じられた金永修に対し復帰を求める請願を演説し、この演説に議長もある程度納得を示したため当該議員の復帰が許可された[6]。
1963年の第6代総選挙では自由民主党の候補として立候補したが落選した。故郷の霊光郡では代わりに息子の曺淇相が選挙区を受け継いで出馬したが、こちらも落選した[3]。