最善世界説
あらゆる可能世界の中で最善の世界
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最善世界説(さいぜんせかいせつ、英: the best of all possible worlds、仏: le meilleur des mondes possibles)は、ドイツの哲学者・数学者のゴットフリート・ライプニッツが、1710年に著書『神義論』の中で発表した概念である。現実の世界が、あらゆる可能世界の中で最善の世界(best of all possible worlds)であるという主張は、悪の問題に関するライプニッツの形而上学における中心的な命題の一つである[1]。

ライプニッツの議論
ライプニッツは、「あらゆる可能世界の中で最善の世界」という概念を、悪の問題と格闘する中で生み出した[2]。すなわち、至善にして全知全能の神が「悪」と呼ばれているものの存在を許容するのには、何らかの十分な理由(充足理由)があるはずである。そして、現実の世界が可能な限り最善であることが示され、他のあり得たであろう可能世界(例えば悪の存在しない世界)が現実の世界よりも劣っていることが示されれば、存在の十分な理由が与えられることになる[2]。
この構想に至る過程は、『単子論』(1714初版)の以下の節からも読み取ることができる[3]。
| Monadologie (1714)[4] | 訳文 |
|---|---|
53. Or, comme il y a une infinité d’univers possibles dans les Idées de Dieu et qu’il n’en peut exister qu’un seul, il faut qu’il y ait une raison suffisante du choix de Dieu, qui le détermine à l’un plutôt qu’à l’autre. |
53. さて、神の諸観念の中に無限の可能な諸宇宙があり、かつただ一つ(の宇宙)しか存在できないから、神の選択には、神を他方(の宇宙)よりもむしろ一方(の宇宙)に決定づける、十分な理由(raison)がなければならない。 |
54. Et cette raison ne peut se trouver que dans la convenance, ou dans les degrés de perfection, que ces mondes contiennent ; chaque possible ayant droit de prétendre à l’existence à mesure de la perfection qu’il enveloppe. |
54. そして、この理由(raison)は、これらの諸世界が含む適切性、または完成性の度合いの中にしか見出されえない;それぞれの可能な(世界)が、それが内包する完成性に比例して、存在を主張する権利を持ちながら。 |
55. Et c’est ce qui est la cause de l’existence du meilleur, que la sagesse fait connaître à Dieu, que sa bonté le fait choisir, et que sa puissance le fait produire. |
55. そしてこれこそが、最善のものの存在の原因(cause)である。すなわち、神の叡智がそれ(最善のもの)を神に知識させ、神の善性がそれを神に選択させ、神の権能がそれを神に産出させる。 |
なお、ライプニッツは著書『神義論』(1710)では、「世界」を次のように定義している。
| Théodicée (1710)[5] | 訳文 |
|---|---|
J’appelle monde toute la suite et toute la collection de toutes les choses existantes, afin qu’on ne dise point que plusieurs mondes pouvaient exister en différents temps et différents lieux. Car il faudrait les compter tous ensemble pour un monde, ou si vous voulez pour un univers. |
私は、存在する全ての諸物の全連鎖および全集積を世界(monde)と呼ぶ。それは、異なる時間や異なる場所に複数の世界が存在し得た、などと言わないようにするためである。なぜなら、それらをすべて一緒に数え上げて、一つの世界、あるいはもしお望みならば、一つの宇宙(univers)としなければならないはずだからである。 |
| —Essais de Théodicée (1710)I, §8. |
可能世界論
ライプニッツの理論のもとでは、可能世界とは、共可能な(英: compossible)諸存在の組み合わせである[6]。ライプニッツによれば、存在が可能的になるのは、論理的に可能であるとき、すなわち、その定義に矛盾がないときである[7]。例えば、「既婚の独身者」などは定義が内部矛盾しているため不可能であるが、「角のある馬」(ユニコーン)は、たとえそれが実際に存在しなくても、存在は可能である。
諸存在は、相互に矛盾しない限り、共存可能(英: compossible)である。例えば、ジミー・ウェールズが出生直後に頭部に隕石を受けて死亡したということは、論理的に可能(英: logically possible)である。しかし、ある世界で起きたこと(例えば、ジミー・ウェールズがウィキペディアを創設した)が、同時に同じ世界で起こらなかった(例えば、ジミー・ウェールズがウィキペディアを創設しなかった)、ということは論理的に不可能である。2つの出来事は、どちらもそれ自体としては論理的に可能だが、同時に起こることは論理的に不可能、すなわち、共存不可能であるため、同一の可能世界を構成することはできない。
ライプニッツによれば、神の観念の中には、このような可能世界(可能な存在の組み合わせ)が無限に含まれている(前掲『モナドロジー』53節)。ライプニッツによれば、矛盾を含む世界は可能世界から除外されているため、神が創造しうるということはない[6]。(全能の逆説も参照)
充足理由律
ライプニッツは充足理由律を以下のように定式化している。
| Monadologie (1714)[4] | 訳文 |
|---|---|
32. Et celui de la raison suffisante, en vertu duquel nous considérons qu’aucun fait ne saurait se trouver vrai, ou existant, aucune énonciation véritable, sans qu’il y ait une raison suffisante pourquoi il en soit ainsi et non pas autrement. Quoique ces raisons le plus souvent ne puissent point nous être connues. |
32. そして、充足理由(十分な理)である。この(十分な理という)徳によって、なぜそれが斯様であり、他様ではないのかということの、十分な理由があるということなしには、私たちは、いかなる出来事(fait)もそれが真であるまたは実在しているとは認められないし、いかなる言明も真正とは認められない、と考えるのである。たとえ、これらの理由がほとんどの場合私たちには全く知られ得ないとしても。 |
無限に存在する数の中に最大のものがないように、可能世界の中にも最善のものはない(世界は無限にどこまでも善くすることができる)、というマルブランシュ等からの反論に対して、ライプニッツは充足理由律(充足理由の原理)を用いて次のような再反論を試みている。
- もし最善が存在しなければ、充足理由律は崩壊し、神は世界を創造しなかっただろう[8][9]。
- しかし神は現に世界を創造した。なぜなら、無限の可能世界の中に、円のように、全体の適切性(仏: convenance)、完全性(仏: perfection)が最高に達する、最善世界という最適解が含まれていたからである[10][11]。
マルブランシュらは「いかなる世界であれ、神はもう1人幸福な人間を増やすか、あるいは1つの悪を減らすことで、もっと善い世界にできたはずだ」と主張した。これに対してライプニッツは、世界の善性は数量の大きさの中に見出されるのではなく[12]、適切性と完全性の度合いの高さ(最適化、英: Optimisation)の中に見出されるとした(最善説、英: Optimism)[13]。
彼がよく持ち出すのが最速降下曲線や等周問題の例である。例えば、同じ長さの紐で囲める「最大の面積」を持つ図形は何かという問いに対して、可能な図形は無限にある(三角形、四角形、五角形、不規則図形など)。しかし、その無限の可能な図形の中で、面積を最大にできるものは円のみである[14][15]。
批判と受容
批判
『弁神論』(1710)の出版から45年後の1755年にリスボン地震が発生した際に、甚大な被害がもたらされ、ライプニッツの議論は同時代の啓蒙思想家や神学者らから批判を受けた[1]。すなわち、ライプニッツの哲学的最適主義(Optimism)を容認できないほどの苦痛に人々は見舞われたのである。ヴォルテールは『カンディード』でライプニッツの学説を風刺した。
バートランド・ラッセルは、ライプニッツの議論を、(1)最善世界の必然性と人間の自由意志が矛盾しているという点と、(2)最善世界説が現世の不条理を不用意に正当化していおり、現実の倫理的な問題に実践的助言を与えていないという点で批判した[16][17]。
継承
19世紀のドイツの生物学者エミール・デュ・ボア=レイモンは、チャールズ・ダーウィンがライプニッツの最適説を、進化論の観点から支持していたと信じていた[18]。
先述の通り、ライプニッツの最善世界説は、ヴォルテールらから激しく批判された。しかし、数学者としてのライプニッツの功績として、例えば「(可能世界が)その適切性と完成性の度合いに応じて、存在を主張する権利(droit de prétendre à l’existence)を有する(『単子論』§54)」、という基本的な着想(最善説、英: optimism)は、最小作用の原理にも見られるように[19]、現代数理学・工学・経済学・計算機科学における最適化(英: optimization)という概念の先駆けとなっている[20][21][22]。(ただし必ずしもライプニッツが後世に直接影響を与えたという断定が直ちに含まれる訳ではない。)ライプニッツは、神を「最善世界の存在の原因」として位置付けている(『単子論』§55)。
フランスの科学史家ミシェル・セールは、ライプニッツの哲学を幾何学や位相幾何学のモデルに基づく動的な関係性のシステム(ネットワーク)として構造主義的に解釈した[23]。
関連
プラトンやアウグスティヌスら哲学は、善に存在論的優位を認め、悪を善の欠如と位置付けた点で、ライプニッツの議論と親和性を有する。