有光次郎
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高知県生まれ。旧制高知県立第一中学校、旧制第三高等学校を経て[2]、東京帝国大学法学部を卒業した。1927年、文部省に入省した。1932年に宗教局保存課長、1934年に専門学務局学務課長、1941年に大臣官房文書課長、1942年に大臣官房秘書課長兼大臣秘書官、1945年6月に科学局長、1945年9月に体育局長、1945年10月に教科書局長を経て1947年に文部事務次官に就任した。
教育基本法の制定、小学校6年、中学校3年の六・三制の実施などの戦後の教育改革に携わる。1948年に文部省を退官した。1949年には秀英出版社長を務めながら、発足当初の国語審議会委員を務めた[3]。
1962年に開学した武蔵野美術大学初代学長に就任した。東京家政大学学長、東京家政学院大学学長、学校法人東京女学館館長(理事長)、日本放送協会学園高等学校(現在のNHK学園高等学校])校長などを務めた。1979年から1990年まで日本芸術院長を務めた。
国語審議会委員、映倫管理委員会委員、中央教育審議会委員、日本棋院理事長(1956年~1975年)など数多くの文部教育関係の審議会の委員などを務めた。吾嬬製鋼所社長も務めた。1982年、日本棋院から大倉賞を受賞。
