朝井茂治

日本の野球選手 (1941-2010) From Wikipedia, the free encyclopedia

朝井 茂治(あさい しげじ、1941年5月11日 - 2010年5月2日)は、静岡県裾野市出身のプロ野球選手内野手)。一時期、登録名朝樹 一義世(あさぎ かずきよ)とした。

国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1941-05-11) 1941年5月11日
没年月日 (2010-05-02) 2010年5月2日(68歳没)
概要 基本情報, 国籍 ...
朝井 茂治
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県裾野市
生年月日 (1941-05-11) 1941年5月11日
没年月日 (2010-05-02) 2010年5月2日(68歳没)
身長
体重
174 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 1960年
初出場 1960年
最終出場 1970年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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来歴・人物

静岡商業では遊撃手として活躍。1958年秋季中部大会に進むが、東邦高に延長10回敗退。翌1959年夏の甲子園に出場。1回戦は宮古高の佐々木勝利(大毎)を打ち崩し完封勝利。しかし2回戦ではエース・井上善夫を擁する日大二高に延長11回の熱戦の末に敗退した[1]。同年には井上らとともに高校野球日本代表としてアメリカに遠征、四番打者も務めた。

1960年大阪タイガースへ入団。入団当初の内野陣は三宅秀史吉田義男という名選手揃いであり なかなか出場機会がなかった。しかし1962年に三宅が故障、1963年は開幕からフランク・ヤシック三塁手の定位置を争い、7月にはレギュラーを獲得した。1964年のリーグ優勝に貢献、南海ホークスとの日本シリーズでは、全7試合のうち6試合に先発。第1戦に2安打を放つが、シリーズ通算17打数3安打と大きな活躍はできなかった。1965年4月11日から6月11日までの2ヶ月間は登録名を朝樹 一義世(あさぎ かずきよ)とした[2]1966年には初めて規定打席に到達(14位、打率.256)、1967年までレギュラーの座を守るが、打撃が低迷。1968年広島東洋カープに金銭トレードで移籍。三塁手が固定できずにいた広島で、2年間レギュラーを務める。しかし1970年には国貞泰汎井上弘昭にポジションを譲り、同年限りで現役引退。

2010年5月2日、脳梗塞のため死去。68歳没[3]

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
1960 阪神 3220000000000000010.000.000.000.000
1961 2229293410181000000070.138.138.276.414
1962 2727271510061100000050.185.185.222.407
1963 1082922742061121384206641924328.223.257.307.564
1964 12642439135951521114745884223244313.243.290.376.666
1965 1244133893387174101422642531531515.224.252.365.617
1966 130486457401171219158407211115024210.256.282.346.628
1967 792732521849613661865221621324.194.244.262.505
1968 広島 11334732818666189831344213006411.201.230.299.529
1969 126389364317680911126117101925708.209.237.305.542
1970 2781718196033463131600131.268.321.479.799
通算:11年 8852763258420757984105785421449354313106111736060.224.258.330.589
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背番号

  • 40 (1960年 - 1963年)
  • 1 (1964年 - 1967年)
  • 15 (1968年 - 1969年)
  • 4 (1970年)

脚注

関連項目

外部リンク

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