朝倉城 (土佐国)
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![]() (高知県) | |
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遠景 | |
| 別名 | 重松城 |
| 城郭構造 | 山城 |
| 築城主 | 本山茂宗(梅慶) |
| 築城年 | 天文元年(1532年)頃? |
| 主な城主 | 本山梅慶、本山茂辰 |
| 廃城年 | 永禄6年(1563年) |
| 遺構 | 曲輪、土塁 |
| 指定文化財 | 県指定史跡 |
| 位置 | 北緯33度32分57.9秒 東経133度28分48.2秒 / 北緯33.549417度 東経133.480056度座標: 北緯33度32分57.9秒 東経133度28分48.2秒 / 北緯33.549417度 東経133.480056度 |
高知市西部、高知大学西側の標高103メートル[2]の丘陵上に位置し、頂上のおよそ2000平方メートルの平坦地を本曲輪とし、周囲にも出丸を築いていた[1]。
本山城主・本山茂宗は、大永(1521~1527)年間に土佐中央部に進出した。朝倉城築城は天文元年(1532年)頃とも言われている[1]。その後、長宗我部氏や土佐一条氏と土佐国の覇権をめぐって争い続けた。
永禄5年(1562年)には長宗我部元親が3,000人の兵を率いて当城を攻め、本山茂辰はこれを撃退した。しかし翌永禄6年(1563年)に本山城に退去した際に当城は焼かれ、廃城となった。
1953年(昭和28年)1月29日、高知県指定史跡に登録された。山頂の詰めの段、および東西に連なる3つの曲輪群を中心に、石垣や土塁、石積み井戸、南北東の竪堀と付属する二重三重の横堀が現存している[3]。
