木下尚慈
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系譜
- 木下家(丸金醤油の100年)
『われら一族―現代の豪族―』93-100頁によると、
- 「木下家は水軍の子孫である。現在木下家に保存されている千石船「太神丸」の記録によれば、木下一族は代々「塩屋忠次郎」を名のっており、文政天保(1818年~1843年)のころには、北は函館、南は鹿児島まで手広く回船問屋を営みはじめていた。また浜には多くの塩浜を持ち北九州に漁場を持つなど、この一族は小豆島を代表する豪族だった。文禄元年(1592年)の朝鮮征伐に参加した水軍の総勢は9450人といわれているが、小豆島からは船50余艘、水夫650人が参加した。水先案内人の「兵衛(ひょうえ)」は抜群の働きをした功績によって、木下姓を許された。この木下兵衛が塩屋忠次郎一族の祖先だといわれている。」という。
┏木下東洋太郎 ┃ ┃ 木下忠次郎━━╋木下忠重━━━━木下光三 (六代) ┃(七代) (八代) ┃ ┗木下元義━━━━木下尚慈