鹿児島県姶良郡、のちの国分市(現霧島市)出身[4]。1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校第33期卒業。1932年(昭和7年)陸軍大学校第44期卒業。
台湾軍参謀を経て、1941年(昭和16年)7月、第13軍高級参謀に補され、支那事変に出動する。同年8月、陸軍大佐に進む。大東亜戦争が勃発すると1944年(昭和19年)5月、再び台湾軍参謀となり、第10方面軍参謀を経て、1945年(昭和20年)6月10日、陸軍少将に進み、同月27日、西部軍附となり終戦を迎える。戦後間もない同年8月19日に第58軍参謀長に転じ、済州島に赴任した。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[7]。