木全竹雄
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享栄商業学校(現・享栄高等学校)在学中は甲子園出場はなし。立命館大学を経て、1936年に大東京軍の結成に参加した[1]。同年4月29日の開幕戦・名古屋軍戦(甲子園球場)に「2番・左翼手」で先発出場を果たし、5打数3安打1打点の猛打賞の活躍だった(日本プロ野球初の猛打賞達成者でもある〈但し、賞の制定は1949年からなので、表彰対象外〉。試合は5-8で敗れ、緒戦を飾ることはできなかった)。5月17日の東京セネタース戦(鳴海球場)ではチーム初の通算10本安打を達成するなど、不振のチームの中で打撃面で活躍した。選球眼も良く、四球の数が三振を上回っていた。しかし秋季リーグに入ると、自身の不振に加え、坪内道典と鬼頭数雄の入団・台頭により出場機会が急減。結局、同年を以てわずか1年で現役引退した。