木内栄司
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1879年(明治12年)12月2日、長野県南佐久郡大沢村(現・佐久市大沢)の醸造業・木内儀三郎の長男として生まれる。[1]木内家は武田信玄にゆかりのある旧家であり、代々大沢村(当時は田口藩領)の庄屋を務めた家柄であった。祖父・清兵衛が安政2年(1855年)に酒造業を創業し、栄司は二代目儀三郎の長男として家督を継いだ。
実業界では、1906年(明治39年)8月に南佐久郡臼田町(現・佐久市)に合資会社千曲銀行を設立し、頭取に就任[2]。その後、1913年(大正2年)1月に第十九銀行常務取締役に就任した[3]。
1929年(昭和4年)の世界恐慌および昭和恐慌の影響を受け、長野県内の経済が困窮する中、県内の有力銀行であった第十九銀行(上田市)と六十三銀行(長野市)の合併を推進。日本勧業銀行や三菱銀行の斡旋を経て、1931年(昭和6年)8月1日に八十二銀行が発足すると、その初代常務取締役に就任した[4](同時に六十三銀行出身の飯島正一も常務に就任)。
1935年(昭和10年)1月1日、病気療養中に死去。翌1月2日には同行頭取の小林暢も急逝しており、設立間もない八十二銀行の首脳陣が相次いで欠ける事態となった。[5]