木内栄司

From Wikipedia, the free encyclopedia

生誕 1879年12月2日
国籍 日本の旗 日本
配偶者 木内まつ
木内 栄司
生誕 1879年12月2日
国籍 日本の旗 日本
職業 実業家銀行家
配偶者 木内まつ
テンプレートを表示

木内 栄司(きうち えいじ、1879年明治12年〉12月2日 - 1935年昭和10年〉1月1日)は、明治後期から昭和初期にかけて活動した日本の実業家銀行家八十二銀行の初代常務取締役を務めた。

1879年(明治12年)12月2日、長野県南佐久郡大沢村(現・佐久市大沢)の醸造業・木内儀三郎の長男として生まれる。[1]木内家は武田信玄にゆかりのある旧家であり、代々大沢村(当時は田口藩領)の庄屋を務めた家柄であった。祖父・清兵衛が安政2年(1855年)に酒造業を創業し、栄司は二代目儀三郎の長男として家督を継いだ。

実業界では、1906年(明治39年)8月に南佐久郡臼田町(現・佐久市)に合資会社千曲銀行を設立し、頭取に就任[2]。その後、1913年(大正2年)1月に第十九銀行常務取締役に就任した[3]

1929年(昭和4年)の世界恐慌および昭和恐慌の影響を受け、長野県内の経済が困窮する中、県内の有力銀行であった第十九銀行(上田市)と六十三銀行(長野市)の合併を推進。日本勧業銀行や三菱銀行の斡旋を経て、1931年(昭和6年)8月1日に八十二銀行が発足すると、その初代常務取締役に就任した[4](同時に六十三銀行出身の飯島正一も常務に就任)。

1935年(昭和10年)1月1日、病気療養中に死去。翌1月2日には同行頭取の小林暢も急逝しており、設立間もない八十二銀行の首脳陣が相次いで欠ける事態となった。[5]

親族

参考文献

脚注

Related Articles

Wikiwand AI