木室卯雲
From Wikipedia, the free encyclopedia
出自
経歴・人物
江戸において[1][2]、御家人の木室勝久の子として生まれ、1736年9月17日(元文元年8月13日)に家督を継ぐ[6]。初めは番町(現在は東京都千代田区に所在)に在住して御家人として活動し[2][3]、幕府の徒目付等を務めた[2][4][6]。またこの頃俳人の慶紀逸の門人となり[2][3]、江戸座で俳諧を学んだ[3]。石寿観秀国が編纂した『江戸の幸』には卯雲の肖像画や彼が詠んだ句が残っている[2]。
その後は狂歌もよくし[1][4]、1756年(宝暦6年)には御目見以上となり旗本へ昇進[7]、小普請方として仙波東照宮や三芳野神社の修理などを担当した[6]。1768年9月9日(明和5年7月29日)には広敷番頭に就任した[2][4][6]。また1765年(明和2年)に上洛した際には同じ狂歌師であった栗柯亭木端や九如館鈍永との親交を持った[2]。後に四方赤良(大田南畝)ら「天明狂歌」の狂歌師と親交を持ち[1][2]、1783年(天明3年)に刊行された『萬載狂歌集』には卯雲が詠んだ24首が入集されている[2]。
1779年3月22日(安永8年2月5日)に広敷番頭を退いて小普請に転じ、1783年7月27日(天明3年6月28日)に死去、享年70[6]。祥雲寺に葬られる[6]。