札幌市立高等女学校(現北海道札幌東高等学校)時代、全道学生展で最優秀賞を受賞[3]。女学校卒業後中国に渡り、敗戦後に帰国。結婚して岩見沢市に移り住み、1964年から版画制作を始める。1965年に道展初入選。1978年に道展会員、1996年国画会会員。作品は木版がメインである。初期は白黒の1色刷りだったが、後に多色刷りが中心となった。度々海外への取材旅行を行っており、題材もそれら外国を題材としたものが多い。1985年から1997年には北海道教育大学で講師として後進の指導にも当たった。
2025年8月4日、高血糖高浸透圧症候群のため死去。97歳没[2]。