木村得三郎

From Wikipedia, the free encyclopedia

死没 1958年(68歳)
国籍 日本の旗 日本
木村得三郎
生誕 1890年
宮城県仙台市
死没 1958年(68歳)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京美術学校
職業 建築家
テンプレートを表示

木村 得三郎(きむら とくさぶろう、1890年 - 1958年)は、日本建築家大阪松竹座東京劇場など著名な劇場建築を多く手掛けた。

宮城県仙台市出身。1914年(大正3年)に東京美術学校を卒業し、同年4月に大林組に入社した[1]。1930年(昭和5年)には木村が設計した東京劇場が竣工し、歌舞伎座とともに「東都歓楽街の華」と謳われた[2]

東京劇場竣工後の1930年(昭和5年)10月、欧米各国へ建築視察のために日本を離れた[3]。1931年(昭和6年)8月に帰国した[4]。1938年(昭和13年)には東京府麹町区一番町の串田萬蔵邸(三菱銀行会長)を設計した。木村は大学生だった串田孫一にヨーロッパについて聞かせ、ローマのカタコンベにある古い彫刻のトレース画を贈った[5]

大林組では東京支店設計部長や建築技術部長(1944年2月)などを歴任している。1941年(昭和16年)6月には大林組の監査役に就任し[6]、1945年(昭和20年)11月には任期満了で退任した[7]

作品

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI