木興拓哉
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プロ入り前
兵庫県宝塚市出身。ヤングリーグ兵庫伊丹[1]から野球留学で北海道栄高に進学し、1年秋の全道大会では準々決勝で渡部龍一のいた札幌第一高を相手に延長10回を投げたが日没コールドで再試合も敗退。2003年、2004年と2年連続で夏の南北海道大会で決勝進出を果たすが、共に駒大苫小牧高に敗れ準優勝[1]。
2004年の高校生ドラフトで千葉ロッテマリーンズから6巡目指名を受け入団。入団会見時に「忘れられた頃に一軍に上がって活躍する」と3年間の「潜伏宣言」をして、ファンやメディアの注目を集めた。
プロ入り後
1年目の2005年から実戦登板の機会を与えられ、同年はイースタン・リーグで11試合に登板して防御率1.76, 投球回数に近い奪三振数を記録した。一方で、四死球も奪三振と同数で暴投数もチーム2位を記録するなど、制球難も目立った。
2006年は二軍で最高勝率のタイトルを獲得。当時一軍の左投手には先発投手に成瀬善久、リリーフにYFKの藤田宗一、ワンポイントの高木晃次などがいたことに加え、2007年以降は成績も向上しなかったことから一軍に昇格できず、2008年10月1日に球団から戦力外通告を受けた。
その後12球団合同トライアウトへの参加を経て、11月28日に阪神タイガースの入団テストを受験。12月8日に育成選手として契約を結んだ。
しかし阪神タイガースでも2009年のウエスタン・リーグで4試合の登板にとどまり、4イニングで3暴投を記録するなど結果を残せず、10月30日に自由契約公示された。引退後は大阪で飲食店を開業。
詳細情報
年度別投手成績
- 一軍公式戦出場なし
背番号
- 56(2005年 - 2008年)
- 127(2009年)