本位田外記之助

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生誕 永禄5年(1562年
死没 天正16年(1588年[注釈 1][1]
 
本位田 外記之助
生誕 永禄5年(1562年
死没 天正16年(1588年[注釈 1][1]
主君 新免宗貞宗貫
氏族 赤松氏本位田氏[2]
父母 父:本位田正重[1][2][3]
兄弟 源太郎、又五郎、外記之助、忠兵衛[2][3]
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本位田 外記之助(ほんいでん げきのすけ)は、安土桃山時代武将

本位田氏は播磨国佐用郡本位田郷[注釈 2]名字の地とする武士で、室町時代に同国守護を務めた赤松氏の同族であるという。その祖を本位田河内守といい、その嫡孫の本位田為利天文23年(1554年宇喜多氏に敗れて戦死し、為利弟の正重は播磨との国境に近い美作竹山城主の新免貞重の女婿となり[注釈 3]、その子・新免宗貞の代にはその後見役を務め、同国英田郡粟井[注釈 4]に住んだという[2][5]

本位田氏の系譜によれば、外記之助は本位田正重の三男。二人の兄はいずれも天正5年(1577年)頃に草刈氏との戦いで戦死したという。外記之助は新免家中でも武勇で知られ、新免宗貞の代には新免伊予守と並ぶ「長臣」で小谷城主だったという。しかし宗貞の子の宗貫は外記之助に害意を企て、天正16年(1588年)これを誅殺したという。系譜によれば享年27[2]

外記之助殺害事件

脚注

参考文献

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