本堂忠親

From Wikipedia, the free encyclopedia

本堂 忠親(ほんどう ただちか)は、安土桃山時代武将出羽国仙北中郡本堂城主。諱は信親とも[1][2]

生誕 生年不詳
別名 信親
概要 凡例本堂 忠親, 時代 ...
 
本堂 忠親
時代 安土桃山時代
生誕 生年不詳
死没 慶長4年7月16日1599年9月5日
別名 信親
官位 伊勢守
主君 豊臣秀吉
氏族 本堂氏和賀氏
父母 父:本堂朝親、養父:和賀秀親
茂親榮親親澄保親、源三郎、安之助、源太郎
テンプレートを表示
閉じる

略歴

本堂朝親の子として生まれる[2][3]

天正18年(1590年)3月、豊臣秀吉小田原征伐に参陣、同年、出羽国増田城主・増田左近を攻める際には大谷吉継に属して戦い、武功を上げた[3]。同年12月19日、秀吉より本領である出羽国仙北中郡8,983石を安堵され[2][3]、翌天正19年(1591年)の九戸政実の乱では大谷吉継に属して戦った[3]

文禄元年(1592年)の文禄の役では前田利長に属して肥前国名護屋城に赴いた[3]

慶長4年(1599年)、和賀氏の嫡流である和賀秀親が危篤になった際には秀親の嗣子となって和賀氏の家督を継ぎ、本領と合わせて25,500石を知行した[2]

慶長4年(1599年7月16日、死去。

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI