本山文平
日本の官僚
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略歴
新潟県出身。第一高等学校を経て、1910年、東京帝国大学法科大学を卒業。台湾総督府に入り専売局属となる。1912年11月、文官高等試験行政科試験に合格。
1924年の奉令で常吉徳寿の後を引き継いで台湾台中州の知事となった。管轄は、現在の台中市、台中市、彰化県、南投県などの地区。1926年10月、警務局長に転じ、1928年7月まで在任した。
後に内地に戻り、1929年には大分県知事に任命され、翌1930年には熊本県知事に転任した。1931年12月18日に休職[1]。1932年1月29日、依願免本官となり退官した[2]。
1936年、台湾青果株式会社取締役社長に就任し、1943年、台湾総督府評議会員となる。
戦後は城南青果、光製薬、妙高林産に勤務[3]。
