南投県
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| 別称: 内地 | |
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| 地理 | |
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| 位置 |
北緯23° 東経120° |
| 面積: | 4,106.4360 km² |
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 南投 |
| 日本語読み: | なんとう |
| 拼音: | Nántóu |
| ウェード式: | Nan²-t'ou² |
| 注音符号: | ㄋㄢˊㄊㄡˊ |
| 片仮名転写: | ナントウ |
| 台湾語: | Lâm-tâu |
| 客家語: | Nàm-thèu |
| 行政 | |
南投県旗 |
南投県章 |
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| 行政区分: | 県 |
| 上位行政区画: | 台湾省 |
| 下位行政区画: | 1市4鎮8郷 |
| 南投県長: | 許淑華 |
| 公式サイト: | 南投県政府 |
| 情報 | |
| 総人口: | 494,522[1] 人(2019年10月) |
| 世帯数: | 179,097[1] 戸(2019年10月) |
| 郵便番号: | 540~558 |
| 市外局番: | 04 |
| 南投県の木: | 樟樹[2] |
| 南投県の花: | 梅花[2] |
| 南投県の鳥: | - |
地理
歴史
南投県は鄭成功時代は初め天興県に、後に北路安撫司に帰属した。1683年、清による統治が開始されると南投地区は福建省台湾府諸羅県の管轄に置かれた。1723年、彰化県が設置されると、彰化県に帰属した。しかしこれらは名目的な行政区分でしかなく、原住民の居住地であった南投に行政統治が及ぶことはなかった。実質的な行政力が及ぶようになったのは1759年の県丞が設置されてからである。
1887年に台湾が独立した省となると南投は台湾府台湾県に帰属、県丞が南投に駐留、同時に雲林縣衙が竹山に設けられ雲林県を管轄していた。1895年に日本統治下に入り、数度の行政区改編を経て台中県の管轄となった。戦後の1950年10月、台湾の地方行政制度改革の際に台中県から南投県が分割され、県政府を南投鎮に設置した。1981年12月25日に南投鎮に市制が施行され、現在の1市4鎮8郷となった。
歴代県長
→詳細は「南投県長」を参照
行政区画
教育
大学
技術学院
その他の教育機関は下部行政区域の項目を参照

