本田山遺跡
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発掘調査
2000年(平成12年)から2001年(平成13年)にかけて、南北約1キロメートル・東西約0.5キロメートルの範囲に複数のトレンチを設けた発掘調査が行われた。なお遺跡の分布範囲に比較すると、発掘調査はごく一部にも関わらず、多数の遺物・遺構が古代以前から近世にまたがって発見されており、政治・経済あるいは生活・生産の活動が特に活発であったことを示唆する[4] [2]。
- 石器時代・縄文時代の箆状石器(ホルンフェルス)[5]、加曾利E式土器[6]、および、猟に用いたとされる陥し穴[7] が見つかっている。
- 古墳時代の竪穴建物跡[8] 、土師器、須恵器、埴輪 [9]が出土している。
- 奈良・平安時代の竪穴建物跡が146棟、掘立柱建物跡28棟、井戸跡7基、さらに鍛冶遺構4基、砥石、大量の鉄滓などが確認された。遺物は土師器、須恵器、瓦などのほか、銙帯(かたい)、緑釉陶器が特筆される[1]。
- 金泥板碑。紀年銘は「長禄五年」(長禄年間に「5年」は存在せず、寛正2年(1461年)にあたる)。天蓋・阿弥陀三尊種子・蓮座・光明真言に金泥、二条線・枠線・法名・紀年銘・蓮座中房に朱が遺存。古河市指定文化財(歴史資料)[10]。